20220501

剱岳 別山尾根 [春合宿](2022/5/1-4)メンバー/小林(リーダー)、西川、平野、森田、柳川、寺岡(記)

山域
剱岳 別山尾根
日程
2022/5/1-4
メンバー
小林(リーダー)、西川、平野、森田、柳川、寺岡(記)
コースタイム
5月1日
15:00 東三国駅集合
20:30 立山駅 着 (駐車場泊)

5月2日
5:00 起床
6:50 立山駅 発
8:10 室堂駅 着
8:40 同 発
11:30 剱御前
13:00 剱沢キャンプ場 着

5月3日
4:00 起床
6:10 剱沢キャンプ場 発
7:20 一服剱
9:00 前剱
11:00 平蔵の頭
12:00 剱岳
13:00 平蔵の頭
14:00 前剱
16:00 一服剱
17:20 剱沢キャンプ場 着

5月4日
5:00 起床
7:30 剱沢キャンプ場 発
8:40 剱御前
11:00 室堂駅 着
22:00 東三国 着
詳細
 

出発まで
当初の計画では、4月29日~5月3日の5日間の日程で、剱沢キャンプ場をベースとして、小林P(小林、西川、平野)は八ツ峰縦走(2日の計画で1日は予備日)、森田P(森田、柳川、寺岡)は別山尾根と平蔵谷(1日は予備日)の計画だったが、GW前半の天気予報が思わしくないため、5月1日~5月4日の4日間に変更(予備日なし)とした。
なお、この合宿に向けた練習として、アイゼントレ、レスキュートレ、歩荷トレを実施してきた。歩荷やアイゼンでのクライミングに関しては自信を付けることができたが、レスキューについては自己脱出がたぶんできる、というところ。
雪山テント泊については3月の八ヶ岳(阿弥陀岳北稜、赤岳南峰リッジ)以来の2度目。今回はコッヘル等の共同装備に加えて食担にもなった上、春の剱岳がどの程度の寒さなのかが想像できず最後まで服装に悩み、慎重な性格から結局冬山と変わらない装備になってしまったことから、パッキングに苦戦した(結果的に服装に関しては慎重で良かった)。

1日目(5月1日)(立山駅まで)
 予定通り15時に東三国駅に集合し、平野号(小林P)と森田号(森田P)で立山駅に向け出発。途中、北陸道の尼御前SAで6人揃って夕食。翌日のケーブルカーとバスのチケットをネットで手配しようとするもなぜかうまくいかない。恐らく既に満席だがページ表示が反映されていなかったものと思われる。道路は混雑することなく、安全運転で20時半には立山駅に到着。駅から近い駐車場に車を停めることができ、脇にテントを張り、4テンで7人で宴会。22時半に就寝。まだ体が疲れていないのと気持ちが昂っているのか、ほとんど寝ることができなかった。前回の八ヶ岳では、行者小屋~阿弥陀岳が過去のどの山行よりもしんどかったが、その原因が睡眠不足だった可能性もあり、出だしから不安な山行となってしまった。

2日目(5月2日)(入山、剱沢まで)
5時に起床し(と言っても寝れていないが)、6時50分のケーブルカーに乗車、8時に室堂着。各自最後の補給をしたり立山そばを食べたりして8時40分出発。昔、「雪の大谷に行きたい」と思っていたことがあったが、ただの通過点になってしまった(そして思ったほどの感動もなかった)。
初めての立山に立つ。一面が白銀の世界だが、なにぶん初めてなので、GWの立山の景色としてこれが普通なのかどうかは分からない。室堂駅から凍ったみくりが池を眺めつつ雷鳥沢に向けて下って行く。目の前には剱御前に至る長い雷鳥坂が壁の様に立ちはだかるが、「今日はこれさえ越えれば剱沢を下るだけ」と考えるとそれほど気は重くない。景色が素晴らしいこともプラスになっている。ただ、周囲の山々はどれがどれだか分からない(地形図は見てきたんだが・・・)。


斜面は一面雪だがトレースもある。雷鳥坂の直前で「アイゼンを付けた方が楽なんじゃ…」と思ったが、会長の「今日はトレーニングだから」の一言で却下。雷鳥坂の登りは、主に先頭の西川さんに続いて歩く。睡眠不足で体調が不安だったが思ったよりは体は動くので一安心。ダラダラ長いがしんどくはない。途中、写真を撮るために後続メンバーを待っていると、平野さんのストックが何やらおかしい。片方のストックのスノーバスケットがなく、長さも短い。聞けば柳川さんが転倒した際に下敷きになり、へし折れたとか。
天候は崩れることなく、11時半に剱御前小舎到着。ここは風の通り道になっているようで、強風が体を冷やす。トイレに入り風を避けながら行動食を取る。ここまでで今日の核心は終わり。荷物は重いがそれほど疲れていない。が・・・ここで初めて強烈な眠気に襲われる。行動食に用意したおにぎりを食べようと思うが全く食べる気にならないし、立ったままでも目を瞑ると寝そうになる。気持ちの糸が切れたんだろうか。無理やりザックを担ぎ、12時に出発し剱沢を下る。
ここまでは、持ってきたピッケルを使うことなく完全二足歩行で歩いてきた(ストックはそもそも持っていない)が、下り坂を降り始めると、小林さんから「ピッケルを出した方が良いよ」と言われザックを下ろす。ピッケルのプロテクターを外し、リーシュを付け替え・・・まごまごしていると森田さんから「こんなところでジッとしてるな」と叱られた。周りを見回すと確かに巨大な雪の塊が転がっており、危険な場所であることを認識する(※)。急いでザックを担いで歩き始める。剱沢キャンプ場までは40~50分だったが、体感としては20~30分ほどだった(もしかして歩きながら寝ていた?)。
13時剱沢キャンプ場到着。先客は1パーティ2張のみ。着くなりテントの設営。テントが張られた形跡があるのでそれを拡張して利用することに。剱沢を降り始めた頃から周りはガスに包まれ、強い風と雪の中テント2張を設営し、トイレを作り、日没までにテントに入ることができた。今日の食事は柳川さんの豆乳鍋+うどん。豆乳鍋は食わず嫌いで初めて食べたが美味しかった。18時過ぎから小林さん達もこちらのテントに合流して入山祝い。弱い自分は飲むと明日に響くと考え、前日に続きアルコールは控えた(そもそも持ってきていない)。翌日の行動予定は、森田Pは当初の予定通り別山尾根からの剱岳だが、今日一日で50cm程度雪が降り積もったと思われることから、小林Pは明朝の状況を見て最終判断するとのこと。
21時に就床・・・昼間あれだけ眠かったのに、テントの外では風が吹き荒れ音がうるさいだけでなく、風ではためくテントが頭や体に当たり、凍った結露が降って来て、昨日に引き続きまたしても眠れない・・・「さすがに2日続けて眠れないと明日は登れないのでは?」と不安になる。1時間くらいして「何とかしないと」とまだ起きていそうな柳川さんにお願いして少しだけ酒を分けてもらうも、結局ほとんど眠れず朝を迎える。

3日目(5月3日)(別山尾根から剱岳へ)
― 出発 ―
4時起床。2日連続の睡眠不足に加え、強い風と降り積もった雪のことを考えると不安要素しかなく、「安全を考えると今日はやめておいた方が良いのかも」という考えも頭をよぎる。が、今日のルートは基本的には一般道。「行けるところまで行こう」と切り替える。隣のテントは3時に起床して八ツ峰行きの断念を決定したようで、こちらと一緒に別山尾根に行く様子。朝食を取り、準備をして6時15分に出発。相変わらず準備に時間がかかり、森田さん、柳川さんを待たせることに。

― 前剱まで ―


剱沢は昨日着いた時からずっと風が強い。20分ほど歩き、剣山荘で先行する小林Pと合流。睡眠不足のせいか、あるいは朝一だからか体が重い。ここで小林さんと森田さんがトランシーバーを装備。自分は元気がなくこの休憩の間、一言も発さなかった。剣山荘からは、小林さんに続いて2番手を歩くことに。ここから一服剱に向け、急な雪面を登っていく。体が目覚めてきたのか、少しずつ体が動くようになってきて、天候も良くなってきたことから気持ちもポジティブに。一服剱を越え、少し下ると今度は前剱の登り。ここは急な登りを、主に雪に埋もれたハイマツの上を歩いて行く。ハイマツの上を歩くという経験は初めてで、踏み抜いてしまわないかヒヤヒヤしながら歩く(実際に何度が踏み抜いた)。我々の前には2人組のパーティがいるようで、彼らの付けたトレースを辿ることになる。前剱のピーク直下でハイマツ帯は終わりだが、帰りはここを降りると思うと少し怖い。他のメンバーも同じく危険と感じたようで、下山時に使う懸垂下降の支点を探す。ハーケンが2箇所にあるがどちらも1本ずつで心許ない。明確に「これ」とは決めずに先へ進む。
9時、前剱のピークを越え、稜線を歩いていると後ろから森田さんが何か呼び掛けている模様。どうやら脚を痛めてしまい、撤退するとのこと。先程の急なハイマツ帯を怪我人一人で降りられるのか心配だが、そのあたりの判断力は間違いないだろう。
― 前剱~平蔵の頭 ―
この辺りからは、先行パーティが休憩する度に追い付くということを繰り返しながら進む。10時20分、前剱の門に到着。体調の不安は全くなくなったが、この辺りから「日没までにテントに帰れるんだろうか」という不安が付きまとう。アイゼンを引っ掛けそうな鉄格子を越えるとトラバース用の鎖(5番目鎖場)がある。が、途中から雪で完全に埋まり、先行パーティも行き詰っている。小林さんの判断でロープを出し、自分がビレイをすることに。足元の鎖にPASでセルフビレイを取り、小林さんに結ばれたロープを同じく足元の鎖に固定する…が、何度やっても結び目が上手くできない(※)。見かねた西川さんから「エイトでも何でも良いからとにかく早く結んで」と言われ、エイトノットで結ぶ(後で振り返ってみると、カラビナに通したチェーンが太くてゲートが開かないため、ロープを通した状態でカラビナの向きをあれこれと変えているうちにロープとカラビナの位置関係が変わってしまったのではないかと思う。いつもカラビナが同じ状態でしか結んでこなかったため対応できなかった、というか何が起きているかも分からなかった。一回失敗した時点で、両手を使うなり別の方法で対応するべきだった)。小林さんが20m程度で登り切って支点を構築し、後続の我々はロープにカラビナ(PAS)を通して登る。
しばらく進むと今度は先が急な下りとなっており、懸垂下降で降りる。いつもならロープを束ねて投げるが、今回は先頭の小林さんが降りるのに合わせてロープを下ろしていく。後で聞けば、降下ライン上に木があり引っ掛かる可能性が高いからこの方法を取った、とのこと(※)。下りきってからは、これまで先行してくれていたもう1パーティの先を西川さんがラッセルで行く。11時、平蔵の頭に到着。
― 剱岳山頂へ ―


平蔵谷を登るとここに出るのか。別山尾根は思った以上にアップダウンがあったため、どっちがしんどいのかは疑問。先行者がいなければ相当キツかったかも知れない。ここで初めて鎖場が現れる。とは言え、冬用グローブで鎖を掴むと滑って仕方ないので、ホールドがあるところは岩を持って上がる。八ヶ岳での経験とアイトレのおかげでアイゼンでの岩登りにも慣れ、恐怖は感じない。しかし、テン場を出発して早5時間。小林さんや西川さんは「後1時間程度でギリギリ剱岳山頂に着けるかどうか」との読みのようだが、目の前にそびえる剱岳を見ると、「本当に1時間???」と思ってしまう。そして帰りも登り返しなどがあることを考えると、「行きと時間はそう変わらないんじゃないか」と思ってしまう。念のためビバークする装備は持ってきてはいるが、正直こんなところでビバークはしたくない。実際にはここからカニの横バイなどの岩場を越え、最後に雪面を少し登ればすぐに山頂だった。カニの横バイはさすがに鎖を持たずに渡るのは難しいものの、難所であるとは感じなかった。最後の約20mは、ここまでしばらく先頭を進んでくれていた西川さんに譲ってもらい自分がラッセルをすることに。わずかな距離だが、急斜面で膝近くまで積もった雪のラッセルはなかなかハードだった。ただ、山頂がすぐそこということもあり、気持ちは楽であっという間に早月尾根からのルートに合流。稜線を100m程度歩いて12時ちょうどに山頂に到着。
次々到着するメンバー(途中で合流した2人組も)と登頂を祝う。初の剱岳であり、初の立山、それも雪。しかも今日は「冬の剱」と言って良いくらいの雪の量と質だったらしいく、なかなかハードだった。また、一服剱あたりから終始天気が良く、山頂でも360度の絶景を眺めることができ、ここまで長い行程を歩いてきた甲斐があった(まだ帰りもあるが)。せっかくなのでGoProで360度の眺めを撮影しようと思い、他の人たちが降りるのを待つ。が、動画を撮り始めるとわずか3秒でバッテリー切れ。GoProは写真撮影なら問題ないが、動画撮影だと低温にもの凄く弱いようだ。12時20分下山開始。昨日は昼には電池が切れたように眠くなって仕方なかったが、気持ちの問題なのか今日はまだ持っている。
一 服剱までの下山 ―
下山は行きと同じルートを下るが、鎖場(岩場)はやはり登りより下りが難しい。とは言え、前剱まではトラブルもなく登りの半分強の時間で下る。前剱直下からのハイマツ帯の下りはやはり危険と判断し、懸垂下降をする。残置のハーケンは信用できず、岩に捨て縄をかけて支点を構築。最初に西川さんが降りている間に、小林さんから「結び目の位置が良くないね」との指摘が(※)。上下に折り返したロープの上側に結び目があると、回収時に上のロープを引くことになり、反対側のロープを押さえつけてしまうから、とのこと。「確かに」と納得。思えば自分は捨て縄を使った懸垂下降が初めてで、折り返したロープが上下になることがこれまでなかったから気にする機会もなかったんだろう。西川さん、柳川さんに続いて自分が懸垂下降。バックアップのフリクションコードに雪が噛み込んで全く滑らない。必死で左手でコードを押し込んで下降し、汗だくになる。
平野さん、小林さんが降り終わり、ロープを抜こうとするが全く動かない。全体重をかけてぶら下がるもロープは伸びるだけ。西川さんと二人がかりで引くと少しだけ動いた。ということは引っ掛かっているのではなく抵抗が大きいだけ。このままでは終わらないので平野さんも加わり男3人で引くとようやくまともに動き出す。が、ロープを半分近く引いてもまだ重い。雪やハイマツなどの摩擦なんだろうが、想像を遥かに超えていた。5人の懸垂下降とロープの回収に時間がかかり、ここまで同じペースだったもう1組はその間に遥か先を行っていた。今日一番体力を消耗した。
懸垂下降で50mほど下ったが、一服剱に向けた登り返しはまだ先。ここからは柔らかい雪面を後ろ向きに降りていく。柳川さんは怖そうでなかなか進めない様子。平野さん小林さんが降り方をアドバイスするのを横で盗み聞きしながら降りる。
― テント場までの下山 ―
底に着くとここから一服剱に向けた登り返し。前剱から見ると「嫌になるほど登るな」と思ったが、目前にするとそうでもない。西川さんの後を追って黙々と登っていると、後ろから声が。どうやら平野さんが脚を痛めたようで、一人遅れている。一服剱が最後のピークとは言え、そこから下ってまたテント場まで登り返さないといけない。時刻は16時に近い。右足のふくらはぎを痛め、伸ばすと痛む様子。歩いて帰るためにはテーピングで固定した方が良いのだろうが、この気温の中で靴と靴下を脱ぐのも酷な話。とりあえず、ロキソニンを飲んでごまかしてもらおうとする(あまり効いてなさそうだったが)。また、自分の持っている長いピッケルをストック代わりに使ってもらう。無駄に長いストレートシャフトのピッケルが初めて役に立った。
西川さんと柳川さんには先にテントに帰ってもらい、小林さんから森田さんに無線で連絡をした上で、小林さんと自分で平野さんに付き添って歩く。剣山荘を過ぎたあたりで、平野さんから「先に戻って」と言われ、自分はこの日の食担でもあることから、ここからは小林さんが一人で付き添うことに。普通の歩幅で歩くことが難しく、トレースが逆に歩きにくくしているようなので、歩幅を小さくしてトレースを付けながら先に帰っていると、後ろから「これええわ」との声。「役に立って良かった」と思っていたら、「右足もうちょっと立ててくれへん?」という追加の注文が。今日一番笑った。
17時20分、剱沢は相変わらず風が吹き荒れていて、止まっているとみるみる体温が奪われていくが、アイゼンのベルトが凍ってなかなか外れず、命からがらでテントに飛び込む。出発時は「無理かも」と思ったが、なんだかんだで無事に剱岳に登頂し、戻ってくることができた。全行程11時間の長い一日で、ノーマルルートと言えど、十分に雪山を堪能できた・・・だが、バリエーションとは決して言えないが、あれを「ノーマルルート」とするのはいかがなものか。
夕食は自分が作ったスープパスタ。そこに小林さんから鰻の蒲焼のお裾分け。まさかこんなところで鰻が食べられるとは。夕食後、小林さんと西川さんがこちらのテントに入り5人で登頂祝いと翌日の予定について相談(平野さんは脚が痛く、何をするのも億劫でテントで寝ているらしい)。相談と言っても、翌日下山することで満場一致。その後宴会をし、眠るためにも柳川さんに少し白ワインを分けてもらい、少し酔って22時頃に就床。昨日よりはマシだが、やはり風が強くなかなか眠れない。結局、しっかり寝付くことなく朝を迎える。

4日目(5月4日)(下山)
5時起床。いつも準備に時間がかかるので、朝食の準備を待っている間に荷物をまとめるが、結局遅くなりテントを撤収して7時30分に出発。
2日前に下った剱沢を剱御前小舎まで登り返す。下りはあっという間だったが、本当に同じ場所かと思うくらい登りは長い…最後尾を歩く森田さんの調子が悪そうだったので一緒に行くことにしたが、朝一だからか疲労と睡眠不足の蓄積か、結構しんどかった。
8時40分、剱御前小舎に到着。小屋でトイレを済ませ、ここから雷鳥沢まで下山。登りの3倍くらいのスピードで下って行く。正直下りは苦手で大腿四頭筋がしんどい。雷鳥沢からはこの山行最後の登り。かなりの登りに見えたが、無心で西川さんに付いて登るとあっという間に雷鳥荘に到着。ここからは多数の観光客の間を縫うようにして11時に室堂駅に無事到着。バス→ケーブルカー→車と乗り継ぎ、途中お風呂と食事を済ませ、22時に東三国に無事帰着。

総括(感想)
今回は、初めての、それも雪の剱岳に登るという素晴らしい体験ができた。今の自分の実力ではこのルートを一人で(あるいはリーダーとして)登ることは不可能で、今回同行いただいた皆様に感謝したい。そして、この日に向けてトレーニングをしてきたつもりだったが、この山行で自分の経験不足に対する気付きや学びも多かった(上記※印)。その場その場での臨機応変な対応ももちろんだが、環境が整った岩場でいつもしていることを異なる環境や状況で同じようにできるとは限らない。そのことに気付いて対応方法を知るには経験と学ぶ姿勢しかないが、この山行はその第一歩となり、そのことが最大の収穫だったのかも知れない。自然を相手にする山行においては、「どんな状況にあっても100%対応可能」ということは現実的ではないのだろうけど、自分の命だけでなく同行者の命も預かるということを考えると99%の自信は持ちたい。バリエーションの経験に加え、そもそも登山の経験も少ない自分は、もう少しの間、経験豊かな諸先輩に同行して学ばせてもらいたい。