20221230

2022/12/30-1/2 穂高岳 屛風岩 メンバー/中嶋 小林 西川 杉橋

山域
穂高岳 屛風岩
日程
2022年12月30日 - 2023年1月2日
メンバー
CL中嶋(記)SL小林 杉橋 西川
コースタイム
 
感想
思えば2004年の正月、前の山岳会の真嶋さんと登ってから長い年月が経ってしまいました。真嶋さんとは年は私のほうが上で山岳会の入会が少し真嶋さんのほうが早かったが、非常に馬があって山屋ひよっこの我々は少しでも上手くなりたいと岩に沢に雪にと山行を共にした岳友である。当時、冬の壁を登るのが我々の夢であった。山行を重ねた我々は屛風岩にチャレンジしたが、悪天候の中T4尾根を登るのに時間がかかりT4手前に着いた時には真っ暗でへんな斜面でツエルトとシュラフカバーでビバークした。翌朝、前日の厳しい登攀と辛いビバークで二人とも完全に心が折れて、すぐに下山という結果に終わった。
その後も2006年正月真嶋さんと田中さんでチャレンジしたが、田中さんが病気になり参加出来ず。真嶋さんと再度チャレンジしたが登れなかった。アルデに入ってメンバーもなく新人のためと言い訳して計画することがありませんでしたが、心の片隅には冬の壁がどこかにありました。
アルデになって2018年正月小林さんと杉橋さんで計画しましたが、私はトレーニングの小太郎岩で懸垂中に5m滑落して左手首骨折という事故で屏風岩に行けなくなりました。小林さんと杉橋さんは二人でチャレンジしましたが、途中までで断念しました。
またまた会長の森田さんからアルパインやるんやったら冬の壁位登らんかいと𠮟咤激励され2023年正月に計画する運びとなりました。メンバーは小林さん杉橋さん中嶋に加えて実力をつけてきた西川さんの4人。屛風岩攻略にはタクティクスが重要だと無理な軽量化ははからずテントとシュラフは担ぐようにして、T4のリードは空荷、セカンドは引上げ、後続の二人はユマーリングというシステムでチャレンジすることに決定した。今回はT4を登った事のある中嶋と杉橋さんはユマーリングで小林さんと西川さんがつるべでリードを担当することとした。(現場ではセカンドもユマーリングした方が時間的に早いことが分かった。)

12/29
松本市のカプセルホテルで年末に転勤になって東京に移動した西川さんと合流。郷土料理の居酒屋で4人決起大会をおこなう。

12/30
7時沢渡から釜トン入口までタクシーにて入山。いつものごとく県警に山行届を提出した。提出する際、小林さんは県警から「屛風岩ですか。熱いですね。」と声を掛けられたらしい。そう我々はみんなただのサラリーマンだが山にかける思いだけは熱い仲間なんだとひとり呟く。
トレースもあり14時横尾に到着。取付きの岩小屋まで偵察し明日からの健闘を誓って入山祝いし就寝。
12/30
4時起床 6時出発
こんな昭和の匂いのする山行はもう先鋭的な人も普通の山屋さんも行わないから当然我々だけ取付きまですべてラッセルである。途中少し沢筋を間違えるが9時頃T4基部に到着。装備をつけて10時頃小林さんがリードで1ピッチ目登攀開始。支点や終了点が見つからず苦戦しているが何とか1ピッチ目の終了点まで到達しセカンドの西川さんとザックを引き上げる。西川さんとザックが引きあがるまで約2時間半杉橋さんと中嶋は震えながら二人の登攀を見守る。我々二人がユマーリングで終了点に到着するころ、西川さんが2ピッチ目をリードしていた。西川さんが後半に差し掛かった時、うわっという声とともに約6メートル滑落した。2本の古いハーケンに2本のロープが均等にテンションがかかっていた。T4の登りは2ピッチ目の後半が難しいのだ。やってしまった。もうここで下山かと思う。放心状態の西川さんに声を掛けて体の状況を確認するように指示ししばらく落ち着かせる。西川さんの大丈夫ですと力強い言葉があり続けての登攀開始を決定。今度は上手く終了点まで到達した。ナイスファイト!!!ありがとう!!!
(後で西川さんが語った事を記載すると落ちながもうここで死ぬのか?怪我して下山するのか?と思ったが、何とか無事だった。心が折れそうになったが前日に私からこんだけ年寄りが荷物持ってんのやからリードもお願いします。とは言うなよと言われていたので意地で登ったとのこと。)ますます私の印象が悪くなるが、いずれにしても完登出来て良かった。
セカンドの小林さんとザックが引きあがるまで約3時間杉橋さんと中嶋は震えながら二人の登攀を見守る。4人の登攀が終わったのが16時過ぎ。まだまだ急な雪稜をラッセルして雲稜の取付きあたりまで行かねばならない。そこで杉橋さんが二人にリードしてもらったのでラッセルしますと力強いお言葉。あまりにも急なためロープをつけて荷物を置いてラッセルする。途中で日没あたりは真っ暗になりヘッドランプをつける。ロープ固定のコールがありユマーリングで3人が登る。杉橋さんは荷物を置いてラッセルしていたためヘッドランプもなしで行動していた。ありがとう!!!
次に小林さんが空荷でラッセルをしてくれて真っ暗な中なんとか雲稜の取付きあたりに着いた。私と西川さんが先行しテントのため整地を開始した。約1時間かかりテントを設営し転がり込んだのが9時半位であった。疲れた。それから紅白歌合戦を聞いて晩御飯を食べた。いつもは紅白歌合戦は前半の少ししか聞かずにシュラフにはいるが今回は年明けの挨拶までした。寝る前に明日の行動に関して相談する。みんな疲れているが明日は予定通り屛風岩を登りたいとのことだったので5時半に起床し明るくなると同時に登攀を開始予定として就寝した。

1/1
5時半起床
昨晩から天候が悪化して一晩中風雪が酷かった。特に西川さんの寝ていた所が雪で圧迫されて一晩中眠れなかったようだ。あんまりにも酷いのでみんなを起こして雪かきをしてもらおうかと本気で思っていたらしい。起床したものの天候は良くなく、ラジオで気象放送を聞くと今晩から平地でも雪で下り坂だと言う。この場所でこれ以上の天候悪化は避けたいので今日中に横尾に下ることに決定する。後はそのまま下るか。少しでも東稜に取付いて下るかだ。テントから外に出てみるとなんと我々のテント場はまだ雲稜の基部にまで達していなかった。東稜に取付くには雪稜をまだ上にラッセルし尚且つラッセルのトラバースが待っている。東稜に取付けば今日中には横尾までは下れないことが分かった。そうとなればこのまま撤退だ。8時半懸垂下降を開始する。1ピッチ目を杉橋さんが40m程下降。2ピッチ目の下降を西川さんに経験してもらおうとお願いするとどうも気が乗らないと言う。西川さんには珍しく拒否したので、中嶋が下降を開始する。目星をつけた大木まで下ろうと懸垂しているとその大木の下はつるつるの岩のスラブが続いている。しかも切れ落ちたスラブだ。木を探して下降していくにはあまりにも危険だと判断し登り返した。向かって左側の方面昨夜登って来たので、小林さんが左方向に雪面をトラバース開始した。開始して姿が見えなくなって「あっ」と声がしてビレイしていた杉橋さんが引っ張り込まれるトラバース中に滑落した様子だ。厳しいならもう少し全員で上に戻って懸垂ポイントを探そうと提案するもそのまま約20mトラバースを続けやっとビレイ解除のコールがあった。西川さん中嶋杉橋さんの順番でロープを使ってトラバースしたのだが、このトラバースが悪いのなんのいきなり5m程下って、下った所から一枚岩のスラブである。雪も申し訳程度に岩にのっているだけだ。細い立木にいくつかかろうじて支点をとっている。時間がかかったはずである。後から続いた男連中3人ともこんな悪いトラバースようしたなと終了点につくなりみんなが口々に言いあった。杉橋さんにいたってはラストで滑落したらしい。尚且つ終了点は登攀コースのドンピシャである。会心のトラバースである。ありがとう!!!
後は2回懸垂をしてT4基部に全員無事に降り立った。ほんとに安堵した。沢筋に沿って3人でそれぞれ下り、一般道に出て横尾帰る。たった2日間の登攀であったが、横尾に帰る途中になぜだか目頭が熱くなってきた。みんなそれぞれが必死になって登攀を成功させようと辛くてしんどい役割を担ってくれた。チームの為に頑張る。言葉にすれば容易い事だが、実際に行動する事は厳しいし難しい。絆がある。そんな思いを感じつつこんな年寄りに冬壁のチャレンジをさせて頂いた事に感謝した。何年も山登りを続けているひとつの答えを見つけたような気がした。今回も登攀を全うすることが出来なかった。人生にたらればはないが、もし天候がもっていればみんな突っ込んでいただろう。何年か前は心が折れて気力をなくして帰ってきたが今回は違う。私はこのメンバーでこの登攀をしたことを誇りに思う。みんなにもそうであってほしい。横尾に戻ってみんなにチャレンジさせて頂いた感謝を言葉にして熱い飲物で乾杯した。
写真