2016年8月 北岳バットレスにおける遭難事故報告書

■目次
1. 初めに
2. 事故の経緯
3. 計画書
4. 事故現場概念図
5. 遭難時の気象状況と事故者の状況
6. 行動の推察
7. 事故者の登山歴
8. 考えられる原因
9. 対策
10. お世話になった方々
11. 参考資料


1.初めに
当会が創立され早 10 年になろうとしています。この間、死に繋がる様な事故は一件も無かったでしょうか、否、死と紙一重の事故は数件ありました。その都度、対応策を作り実行してきたところですが、今回二人共に死亡という最悪の結果になったことは誠に残念でなりません。
今回亡くなられた二人は技術、体力を見る限り、四尾根を登るに足りるものを持っていたと思います。ただ、山や自然に対する経験が浅かったことは否めません。彼らが前穂北尾根、槍の北鎌、剱東面の岩場とレベルアップを計り、もう一歩進めて北岳バットレスを目指した事は当然の成り行きだったと思われます。しかし、急な計画のため、充分な調査、打ち合わせ等も出来ないまま入山したこと、また、それを許可した私たちにも責任の一端はあろうかと思います。
今、私たちはもう一度山とは何か、自然とは何か、会の目指しているアルパインの世界とは何かを問い直し、お二人の大きな犠牲の上に立って、より次元の高い登山を目指していく所存です。そして、望み、計画し、実行することを今後の登山活動に生かしていきたいと思います。
最後になりましたが、この事故に対して地元警察、山梨岳連をはじめ、救助活動にご尽力頂いた多くの方々に御礼申し上げます。同時に、不幸にして亡くなられたお二方のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族に対して心よりお悔やみ申し上げ、お二人の犠牲を無駄にすることなく、私どもアルデの教訓として後々に生かしていきたいと思います。
~お二方の死を生かすためにも~
(大阪アルデ山岳会 会長 森田 正)

(左から)松並さん、辻さん 2016 年 7 月、槍ヶ岳・北鎌尾根にて


2.事故の経緯
●出発まで
日付 時間 内容
8/10(水) 松並が松村に「8 月末に休みが取れそうなので、剱の八峰に行かないか」と打診。松村は「場所は任せる」と回答。
8/21(日) 松並が松村に「休みの日程が決まったので、8/26~の 3 日間で、松並、辻、松村でどこかに行こう」と連絡。(この日までに、松並が辻を誘ったよう。)
8/22(月) 松並が森田に「8 月末に剱(八峰、源次郎、北方稜線)、前穂北尾根、八ヶ岳小同心、北岳バットレスに行こうと思っているが、どこがいいか」とメールにて相談。森田は北方稜線を勧め
る。
8/24(水) 剱は台風の影響で天気が悪そうなので、他の場所にすることを松並・辻・松村で相談。辻が南アは良さそうなので、24 日の集会で相談すると、2 人に伝える。
19:00 集会に辻が出席。バットレスの四尾根にしようと考えていると役員に相談。役員は森田、中嶋、小林が出席。トポを見ながら、小林は自分が取付いたルートと取付きまで迷った経験を話す。
8/24(水) 21:35 集会後、松並から松村にバットレスになったと連絡あり。松村は天気が悪そうなのでやめると伝える。
8/25(木) 15:15 松並、役員宛てにメールで計画書送付。

●出発~事故発生(一部憶測)
日付 時間 内容
8/25(木) 夜 松並・辻、大阪を出発。
8/26(金) 松並・辻、二俣(幕営地)へ。
8/27(土) 停滞?
8/28(日) 四尾根登攀。途中で行き詰まりビバーク。(実際は三尾根を登っていた。)(後日、肩の小屋に問い合わせたところ、8/28~29 にかけての天気は、早朝だけはいいが、9 時頃からガス、その後雨というパターンだったとのこと。)
8/28(日) 18:27 大内より、辻、松並に下山確認のメールを入れるが返信なし。

●事故発生~
日付 時間 内容
8/29(月) 6:47 辻から森田の携帯に連絡あり。森田は着信に気付かず、電話取れず。
10:00 頃 県警ヘリが二人の場所を確認するが、ピックアップできず。
11:35 辻から森田の携帯に連絡。「四尾根3ピッチあまり登った所でルートが不明になりビバークした。県警に救助要請済み。自力で壁から降りるのは無理。」とのこと。これを受けて、森田から県警に連絡。「要請は受けたが天候が悪く、ヘリでは回収できない。なんとか取り付きまで降りてきてほしいが要救助者に無理だと言われた」とのこと。
11:41 森田が大内に電話し、辻との会話の内容を連絡。「ツエルトが無い、声が震えていて寒そう」と伝える。
12:35 森田より中嶋に電話で連絡。中嶋より小林に電話で連絡。
12:37 森田から大内に電話入り「北岳の計画書を山梨県警に FAX してくれ」と依頼あり。家にいる大内(涼)に頼んで FAX してもらう。
13:00 中嶋より会員全員にメールで連絡。
15:45 大内、辻に電話し現状を聞く。衰弱していると感じた。「岩陰にいてビニール等被っているが雨と風で寒い、食料はお菓子が少しあるだけ。懸垂支点はあるが体が冷えて動けない、危険なので止めておこうと松並と決めた」とのこと。
16:01 大内、役員に辻との会話の内容をメールし、今晩役員会の開催を計画。
17:00 頃 県警ヘリが救助に向かうが、ピックアップできず。
21:00 森田よりご家族へ連絡。
21:00 役員会開催。その後、内容を全会員にメールで連絡。
・状況・情報の共有(これまでの経緯と県警の対応状況など(天候不順のため、県警は出動できていない))
・明日、森田・川平・松村・近藤で現地に向かう(現地捜索隊)
・大阪本部の窓口は小林(現地からの情報収集と会員・石田岳連捜対委員長への連絡)
23:40 辻に小林よりラインで翌日救援に向かう旨、連絡

8/30(火) 7:00 辻より「携帯の電源は切れたが、タブレットが使える」と連絡あり。全会員にメールで報告。
7:45 現地捜索隊が大阪を出発。
14:45 現地捜索隊:県警本部でこれまでの経緯と今の状況の報告をもらう。
・29 日 6:30、辻より 110 番に救助要請あり。10 時、17 時にヘリが向ったが、強風のためホバリング出来ず。二人の位置は確認(三尾根 2890m 付近ハング下)。写真でも撮影。
・風さえなければ引き上げ可能ポイント。好天を待ち待機中
・地上部隊(現地警察 2 名、地元ボランティア 4-5 名)が白根御池小屋に待機中
・管轄は南アルプス警察署(担当:地域課長 深澤氏)
警察は、2人の正確な位置をスマホの GPS 電波で把握。
15:00 大阪本部:辻ご主人、松並弟さんに小林より状況報告。
16:00 頃 防災ヘリが救助に向かうが、ピックアップできず。
16:00~
17:00
辻から中嶋、小林にライン電話およびラインメッセージが複数回あり。それぞれ 1 回、数分、会話をする。音質のせいもあり、きちんとした会話が出来ないが、松並の状況が悪い、寒いといったことを聞く。ラインメッセージも内容がはっきりしない。意識がしっかりしていない様子。小林、南ア署にこの件を連絡。かなり危険な状態なので、この日中にヘリ以外の方法でも救助してほしいと頼む。「県警でもこの事態は把握しており対応しているが、下からは行け
ない、ヘリも飛べない」と言われる。
16:30 大阪本部:全会員へ状況報告。
18:00 大阪本部:現地捜索隊の交代要員を検討。
18:00 大阪本部:小林より辻ご主人、松並弟さんに小林より状況報告。全会員に状況報告。辻ご主人は南アルプス署に向かっているとのこと。
19:00 大阪本部:近藤より現地のミーティングの結果の報告受け。
・翌日 6 時からヘリ待機
・下からまたは上からの救助も検討

8/31(水) 6:00 大阪本部:川平よりヘリが強風のため飛べない旨連絡受け。二次隊検討。吉田・大内(涼)が午後大阪発で向かうことで調整。
現地では、レスキュー隊が御池小屋を出発。川平・近藤が荷揚げで同行。森田は下の取付きに向かう。松村は小屋で待機。
9:20 大阪本部:松村より現地の状況報告受け。
・ヘリは飛べない。安否の確認は出来ていない。
・物資補給と安否確認の為、レスキュー隊が頂上から懸垂下降を開始。
9:20 大阪本部:辻ご主人、松並弟さんに小林より状況報告。
・辻ご主人、広河原へ向かうとのこと
・松並弟さん、職場に連絡していないとのこと。午後、大阪から現地に向かうので同行するかを提案。
松並の職場へ小林より連絡。
9:30 大阪本部:吉田より 14:30 に大内(涼)と千里中央で集合し、出発する旨連絡受け。
11:30 大阪本部:松並弟さんより連絡受け。夜か翌朝、向かうことで検討しているとのこと。
13:36 大阪本部:近藤よりラインで二人とも心肺停止状態との連絡受け。近藤と川平は御池小屋に下山するとのこと。小林は「現地捜索隊から口頭で詳細な報告を受けた後、ご家族・会員への連絡をする」と回答。役員と向かっている二次隊に、心肺停止の連絡を受けた旨を伝える。
14:00 大阪本部:白根御池小屋の松村からも心肺停止の連絡。
14:30 頃 県警ヘリにより遺体搬出。
15:00~
15:30
大阪本部:白根御池小屋に戻った近藤より電話で報告受け。これを受けご家族に連絡。(すでに警察より連絡受けていたとのこと。)松並勤務先、会員、石田岳連捜対委員長に連絡。
22:30 松村、川平、近藤が帰阪。

9/1(木) 朝 吉田、大内(涼)、白根御池小屋へ。
11:00 現地捜索隊:テント回収し全員(森田、吉田、大内(涼))広河原に下山。
9/2(金) 15:00 頃 二次隊、帰阪。


3.計画書(住所・電話番号等、個人情報はグレーで表示)
山行届




4.事故現場概念図

図 1:北岳バットレス概念図(C ガリー出合より)(作成者 森田)

写真 1:北岳バットレス


5.遭難時の気象状況と事故現場の状況
① 気温
北岳周辺の観測所である韮崎(標高 341m)、大泉(標高 867m)、野辺山(標高 1350m)、富士山(標高 3,775m)の 4 点の気温データから標高依存性を線形で近似し、ビバーク地点である 2,900m の気温を算出した。その結果、8/27~8/31 の 17:00 頃までは 10℃前後で推移していたが、8/31 の 18:00 頃から気温が下がりはじめ、8/31 の 4:00 には 2℃程度まで冷え込んでいたと推定された(図 2)。

② 降水量
tenki.jp の「山梨県の雨雲の動き」の過去データから、1 時間毎の画像データを入手し、バットレス周辺の値を読み取ったところ、8/27~30 は日中・夜間問わず断続的に降水が確認された(図 2)。また、アタックした 8/28 は 3 時以降、降水は認められないが、15時以降、雨雲が発生し、19 時から翌日(8/29)3 時まで降水が記録されている。8/29 は顕著な降水は確認されていないが、8/30 の未明から降水量が再び多くなり、3 時から 13時は 2~10 mm/h のまとまった降水があったと推察される。8/31 は降水なし。なお、これらのデータは、肩の小屋に事故日近辺の天候を問い合わせた際の情報(「早朝だけはいいが、9 時頃からガス、その後雨」)とも一致する。

図 2:標高 2,900m 地点の気温及び降水量の変化(推定値)

③ 事故現場の状況
10/15、会員 3 名で事故現場の確認と遺品回収を行った。二人がビバークしていた地点は、北岳頂上から 250m ほど懸垂下降したところにある横幅約 4m、入り口の高さ約 2m の岩の隙間であり、二人が入って雨をしのげる形状であった(写真 2, 3)。ビバーク地点の 5-6m下には古びたハーケンがあり(写真 4)、回収した装備にはカム(ドラゴンカム 1~4 番、各 1)もあった。また、ハーケンの場所から 5-6m 下にはハイマツ帯もあった(写真 5)。

写真 2:ビバーク地点遠景(中央の黒い窪み)

写真 3:ビバーク地点近景

写真 4:ビバーク地点下のハーケン

写真 5:ビバーク地点下のハイマツ帯

6.行動の推察
8/27 は 10 時以降、雨が降ったため、朝のうちに偵察・もしくはアタックに向かった可能性はあるが、引き返して停滞したと考えられる。8/28 は朝のうちは晴れていたため、アタックを決断したが、C ガリーを D ガリーと間違え、その結果、四尾根ではなく三尾根を登ってしまったと思われる。しかしながら、ルートを間違えていることに気付かず登り続け、15 時以降、降雨があり、クライミングに悪影響を与えた結果、ビバークせざるを得ない状況になったと推察される。カムも携行しており、ビバーク地点の近くには古いがハーケンもあった。さらに、下にはハイマツ帯があり、それらを支点に懸垂下降すること
も可能であった。これらのことから、8/28 のビバークを決めた時点で低体温症の症状が出ていたか、または視界不良・降雨・疲労などの悪条件のため、ひとまずビバークをしたが、翌日には低体温症により行動できなくなっていた可能性が考えられる。


7.事故者の入会時期と会山行歴
① 松並:2013 年 5 月入会、辻:2016 年 1 月入会
② 会山行歴
日付 場所 メンバー ※()内は見学者
2014 年
3/29 百丈岩 森田 小林 崎間 檜垣 松並
4/27 蓬莱峡 アイゼントレ 森田 森本 松並 大内 涼 新谷 松田 辰巳 椿尾
5/23 百丈岩 涼 松並 森田
5/25 不動岩 涼 大内 森田 松並 八馬
5/30 蓬莱峡 森田 松並
6/7-8 保塁岩 森田 大内 小林 中嶋 三輪 松田 辰巳 椿尾 迫間 檜垣
松原 涼 松並 今岡 松村
6/14 六甲縦走(夏合宿トレ) 中嶋 松並 松田 松村 檜垣
6/15 山神社の岩場 中嶋 椿尾 小林 檜垣 大内 涼 渡邉 崎間 松並 森本
6/22 六甲縦走(夏合宿トレ) 森田 森本 大内 涼 八馬 松並
7/5 百丈岩(夏合宿トレ・岩) 中嶋 吉田 小林 松村 松並 松田
7/20 百丈岩 (夏合宿・トレ岩) 森田 檜垣 渡邉 松並 松原
7/27 百丈岩(夏合宿トレ・レスキュー) 森田 松田 松並 小林 辰巳 新谷
8/10-17 夏合宿(剱岳) 森田 大内 小林 中嶋 檜垣 涼 八馬 松並 松田 森本 渡邉
9/21 百丈岩 森田 中嶋 小林 松並 渡邉
10/26 御在所岳 森田 森本 松村 大内 涼 吉田 松並
11/8 雪彦山 中嶋 小林 椿尾 松並 松村
11/9 六甲縦走(冬合宿トレ) 大内 涼 檜垣 松並 松村 八馬
11/16 蓬莱峡(冬合宿トレ・アイゼン) 森田 大内 涼 渡邉 小林 中嶋 松並 松村 檜垣
12/6-7 宝剣岳 涼 森田 松村 渡邉 松並 八馬 檜垣
12/27-29 八ヶ岳(赤岳天狗尾根) 中嶋 吉田 松並
2015 年
1/25 不動岩 大内 涼 辰巳 川平 八馬 松並
2/14 比良山 森田 小林 川平 椿尾 深美 八馬 中嶋 松並 榊原
2/15 大峰山(アイス) 大内 涼 松原 松並
3/29 六甲山(春合宿トレ・ボッカ) 大内 涼 松村 川平 松並
4/19 蓬莱峡 森田 松原 大内 涼 八馬 松村 川平 松並
4/26 蓬莱峡 森田 松並 八馬 辰己 中嶋 松原 川平 (池崎 榊原)
4/29-5/5 剱岳 剣沢ベース(春合宿) 大内 涼 八馬 松原 松村 森田 松並 川平
5/16・17 読図講習会(岳連) 森田 松村 松並
6/6-7 烏帽子、百丈 森田 小林 松村 中嶋 三輪 檜垣 大内 涼 川平 崎間
今岡 椿尾 松原 榊原 松田 辰巳 松並 池崎
6/28 六甲山(夏合宿トレ・ボッカ) 中嶋 松並 榊原 吉田
7/12-13 御在所 森田 深美 松並
8/7-16 穂高岳(夏合宿) 森田 島根の吉田 松並 檜垣 松村 吉田 川平 榊原 池崎
9/5 下多古川本谷 真嶋 松原 松並 榊原 (西川)
9/12 不動岩 中嶋 崎間 小林 松並 川平 松村 (近藤 角田)
9/24-26 槍ヶ岳 北鎌尾根 川平 松並
9/27 不動岩 中嶋 松村 川平 松並 大内 涼 小林 (辻井 近藤)
10/3 百丈岩 小林 松村 松並 森田 近藤 川平 (山口)
10/10-12 小豆島 親指岳 吉田の岩場 中嶋 小林 松村 松原 松並 崎間
10/24-25 雪彦山 松村 松並 松原
11/7 御在所 前尾根 小林 松村 松並 中嶋 近藤 川平 難波
11/14 六甲山(冬合宿トレ・歩荷) 川平 山口 松並 榊原
11/28 蓬莱峡(冬合宿トレ・アイゼン) 中嶋 小林 川平 渡邉 松村 松並 森田
12/12 蓬莱峡(冬合宿トレ・アイゼン) 森田 中嶋 近藤 川平 小林 松村 西川 松原 (辻)
12/28-30 八ヶ岳(赤岳主稜) 松村 松並
2016 年
1/15-17 八ヶ岳(赤岳主稜、阿弥陀北稜) 川平 松並
2/7 堂満岳 中央稜 川平 松原 松並 近藤 辻 真嶋
2/20-22 八ヶ岳(赤岳主稜) 松並 西川
2/28 保塁岩 川平 松並 近藤 榊原 (平山)
3/6 六甲山(春合宿トレ・歩荷) 中嶋 辻 松原 (平山)
3/19-21 八ヶ岳(赤岳主稜、中山尾根、硫黄岳) 川平 松並〈赤岳主稜、中山尾根〉 榊原 辻〈硫黄岳〉 (平山)
3/27 蓬莱峡(春合宿トレ・アイゼン) 大内 涼 松村 松並 松原 辻
4/2 蓬莱峡(春合宿トレ・アイゼン) 中嶋 小林 平山 辻 松並
4/9 蓬莱峡(春合宿トレ・レスキュー) 中嶋 小林 松村 辻 松原 森田
4/24 大峰山 上多古川 真嶋 山口 辻
4/30-5/1 熊野川 立間戸谷 真嶋 松並
5/1-5/4 穂高岳(春合宿岳沢ベース) 小林 辻 大内 涼 松原 松村 近藤
5/28 不動岩 松村 松並 近藤 辻
5/29 野江股谷 真嶋 松原 松並 辻
6/12 百丈岩(夏合宿トレ・岩) 中嶋 松村 松並 小林 近藤 川平 (藤本 宮内)
6/18 保塁岩(夏合宿トレ・岩) 小林 森田 松村 松並 山口 深美 中嶋 辻 池崎 檜垣(藤本)
6/19 六甲山(夏合宿トレ・ボッカ) 中嶋 小林 近藤 辻 山口 池崎 川平
7/2 蓬莱峡(夏合宿トレ・レスキュー) 森田 小林 川平 近藤 山口 辻 池崎 吉田
7/2 不動岩 松原 松並
7/10 蓬莱峡(夏合宿トレ・レスキュー) 中嶋 松並 辻
7/29-8/1 穂高岳 北鎌尾根 川平 松並 辻
8/10-15 剱岳(夏合宿) 森田 大内 辻 川平 近藤 小林 中嶋 池崎


8.考えられる原因
① 山に向かう想像力の不足(山でのリスクを踏まえた事前準備、装備の携行、撤退の判断が出来ていなかった。)
② 装備の不備(ハンマー、ハーケンを持参しなかった。計画書では 1 人用テント二つとしていたが、実際は 2 人用テント一つで、ツエルトを持って行っていなかった。防寒具、雨具パンツを登攀時に持って行っていなかった。)
③ アルパインクライミングの総合的な経験・技術の不足(三尾根を四尾根と間違えて登り、救助要請時もそれに気付いていなかった。懸垂下降による撤退が出来なかった。)
④ 天候、撤退に対する判断ミス(天候が悪化する可能性が高かったにも関わらず登攀を実行し、撤退の判断をするのも遅かった。)
⑤ 準備不足(行先決定から出発まで時間が無かったため、装備やルート研究の準備が不足していた。)
⑥ 会の山行承認手順の不備(出発当日に計画書が提出され、確認する時間が少なかったにも関わらずそれを承認してしまった。装備の不備を指摘しなかった。メンバーの力量とルートの難易度との見極めが正しく出来ていなかった。)
⑦ 会の育成方法の不備(メンバーの力量を正しく判断出来ていなかった。セルフレスキューの技術をメンバーに身に付けさせることが出来ていなかった。)


9.対策 (※「7.原因」の番号に対応。)
① 各メンバーが経験した山でのリスクを、集会や報告書で共有する。非常時を想定したトレーニングをする。
② 各装備の重要性と必要性をメンバーに認識させ、装備に不備が無いようにする。ハンマー、ハーケン、ツエルトに関しては、アルパインルートでは今後必携とする。また、ハンマーとハーケンの使い方をトレーニングに織り込む。
③ 初めて組むパーティは、近郊のアルパインルートでのトレーニングを必須とする。アルパインルートと力量に一定の基準を設定し、その基準を満たせていないパーティーに関しては山行を許可しない。
④ 気象遭難や天候判断の座学を開催すると共に、天候や撤退に対する判断に関してもセルフレスキューやトレーニング山行に盛り込む。
⑤ 計画書の提出期限を1週間以上前とし、本人が準備をする時間的猶予を設ける。
⑥ 装備の不備が生じにくいような計画書のフォームに変更する。計画書の提出期限を1週間以上前とし、会や本人が確認する時間的猶予を設ける。また、山行承認者を現行の会長のみではなく、会長および副会長の二人とする。
⑦ メンバーの積極的な山行を促し力量を把握すると共に、セルフレスキューに関してもビバークや撤退や気象等の項目を盛り込む。
なお、以上の対策は、必要に応じて都度見直し、改善を図る。


10. お世話になった方々(順不同、敬称略)
山梨県南アルプス警察署、山梨県山岳連盟、大久保基金の会、北岳肩の小屋、白根御池小屋、広河原山荘


11. 参考資料
① 当該事故に関する記事

産経ニュース(ネット)2016.8.31 19:05
南ア・北岳で2人心肺停止 29日に遭難の男女か 山梨県警によると、31 日午前 11 時 50 分ごろ、山梨県南アルプス市の北岳(3193 メートル)の標高 2900 メートル付近で心肺停止の 2 人が見つかった。29 日に兵庫県の女性(46)と大阪府の男性(45)が「遭難した」と 110 番で助けを求めており、県警はこの 2 人とみている。
南アルプス署によると、110 番があったのは 29 日午前 6 時ごろ。女性が「下山道が分からなくなった」と説明した。県警などが救助を試みたが、29 日と 30 日は天候が悪く、捜索を中断していた。

産経ニュース(ネット)2016.9.1 15:43
北岳遭難で男女の身元確認 山梨・南アルプス
山梨県南アルプス市の北岳で8月31日、男女2人が見つかり、死亡が確認された事故で、南アルプス署は1日、身元を兵庫県川西市美園町、パート従業員、辻佐地子さん(46)と大阪市浪速区戎本町、調理師、松並伸一さん(45)と確認したと明らかにした。登山中に遭難したとみられる。
署によると、2人は同じ山岳会に所属し、ロッククライミング目的で入山。8月29日朝に辻さんから助けを求める110番通報があったが、29日と30日は台風の接近に伴う悪天候で、県警などは救助活動を中断していた。検視の結果、いずれも死因は低体温症で、31日未明から早朝の間に死亡したとみられる。


② 天気図

 

 

以上