2008年5月5日 前剣岳東尾根事故報告書 その1

平成20年5月19日
前剱東尾根事故報告書
中嶋宏幸

概要
メンバー 大内L、中嶋、空本
5/5(曇のち雨のち暴風雨)
 剱沢のテント場をかなり明るくなった7:00に出発する。前剱東尾根末端より200mほど登った地点で、まず大内が約20mの急な雪壁をノーザイルで登る。(傾斜45度~50度)次に空本がノーザイルで雪壁を登る。登る前に大内から雪が腐っているから慎重に登るようにとのアドバイスが入る。中嶋もこの傾斜ならノーザイルで行けると判断し空本を先に行かす。空本が登攀中に上部3mほどのトラバース付近で腐っていた足元の雪が崩れ、約30m滑落する。中嶋は雪壁の下部ですぐ下の岩場で使ったザイルを整理していた。「らく!!!らく!!!」と言う大内の叫び声が聞こえたので見上げると空本が頭から一回転しながら空中を落ちるのが見えた。あっと言う間にその姿は下部の絶壁のブッシュの中に消えていった。「そらもと!!!大丈夫か!!!」と必死で叫ぶ。暫くして「大丈夫です。」と下の方で声が聞こえた。その場から覗くと10m位下に空本がいた。幸いなことに木に引っかかり奇跡的に助かった。(怪我もなく。)もし、引っかからなければ断崖をあと150mは落下し、即死したと思われる。(正直、落ちた瞬間は死んだと思った。)すぐさま空本に自己ビレイを立ち木でとらせる。唯一ザイルを持った中嶋が大内の所まで登り、大内と中嶋は大内が打った二本のハーケンを支点にザイルを出してクライムダウンする。2度の懸垂で空本の所にたどり着いた。つごう立ち木を利用して合計6回の懸垂をして平蔵谷の雪渓まで下降する事が出来た。


問題点
① なぜザイルを出さなかったのか?
② なぜザイルは一本だけだったのか?
③ なぜテント場出発は7:00だったのか?
④ そもそも新人を連れてゆく山域であったのか?


理由
① 傾斜は前日の源次郎尾根の急な雪壁と大差はなく、前日の空本の行動から見て登れるように見えた。しかし、結果的にトレースもなく雪が腐ってかなり厳しい登攀になった。
② 前剱はさしたる困難もなく一本で充分だと言う思いから、中嶋が提案して軽量化のためザイルを一本にする事に決めた。
③ さしたる困難もなく7:00出発にしても充分に戻ってこられると判断し、大内・中嶋で今までの5:00起床を7:00に変更した。
④ 日本登山大系を読んでも前剱東尾根は格別の困難はないと記載されている。また、剱沢のテント場より観察しても八ツ峰・源次郎よりは易しく登れる様子であった。


反省
① 自分達が登攀出来ても新人には難しい所は当然ある。自分の力量を目安に新人を登らせるのは非常に危険である。(かつては自分も登れなかった。)落ちれば重大な事故につながる場所ではザイルを出す必要があった。それまでの岩場・雪壁においても空本をノーザイルで登らせている。
② 八ツ峰や源次郎と違って人が入っていないと言う事の認識が希薄であった。グレード的には同じもしくは易しくとも人の入っていない山域の方がはるかに難しい。2本のザイルがあれば、もっと積極的なザイルの活用をしたかもしれない。実際、懸垂に関してはもっと時間や労力を節約出来た。
③ 山を甘くみて行動予定を変更した。人が入っていない山域であるのなら、なおさら慎重になる必要があった。実際に、時間的に早く取付いたなら雪の状態ももう少し良かっただろう。
④ 実際のアルパインクライミングにおいて、全くの新人をガイドのない山域に連れて行くのは危険である。それなりの力をつけてから連れて行くべきであった。新人教育をスケジューリングして管理する必要がある。

今回の事故に関しては本当に幸運だったと感謝しています。それと共に自分の状況判断の甘さや拙さを非常に反省しています。当然ながら人の命はなによりも優先されるべきものです。ある程度力量のある人を連れていったのならいざ知らず。今後、今回のような新人を連れって行っての決定的な事故はあってはならないものだと心に誓っています。