2010-2011正月合宿における凍傷の記録

2011年2月5日
2010-2011正月合宿における凍傷の記録
小林 玉喜

1. はじめに
2010-2011年 正月合宿(横尾尾根)において、手指に凍傷を受けた。自分への反省および他会員の注意喚起の為に、受傷までの経緯とその後の経過、凍傷についてネット・書籍等で学んだことや今後の対策を以下に記す。

2. 受傷までの経緯と受傷後の経過
2010/12/30-2011/1/4の予定で、当山岳会の横尾尾根正月合宿が計画された。その前に参加した2010/12/23-26の八ヶ岳山行で左手小指にごく軽いしもやけ程度の違和感を覚えた。正月合宿当日までにその違和感は消えたものの、凍傷に関する不安から、気休めとは思いつつ血流改善効果のあるビタミンEのサプリメントを12月27日より服用。正月合宿にも持って行く。
12月30日 :
・ 平湯~釜トンネル~大正池ホテル~上高地バスターミナル~徳沢~横尾避難小屋泊
・ 特に普段と変わったことはなかった。
12月31日 (受傷当日):
・ 横尾非難小屋~3ガリー~2200 m地点(滑落事故発生→下山開始)~横尾避難小屋泊
・ 横尾を朝5時に出発。装備はインナー手袋(裏地にフリース素材が貼り付けてある化繊の手袋)+アウター手袋(モンベル、ゴアテックス、肘近くまでの長さ)。初めのうちは、特に異常な冷えは感じなかった。トレースを踏み抜き雪に深く埋もれることが数回あった。ガリーから尾根に取り付いてからは、斜面も急になり手を使って登ることもあった。これらの行動により、手袋が濡れた可能性が高い。尾根に取り付いた辺り(11時頃?)から手指がしびれていたが、雪山では感覚が無いことがほとんどなので、あまり気に掛けなかった。13時頃、15mほど滑落(正確な時間、事故の詳細は事故報告書を参照)。顔・頭・脇腹等を打ち、鼻および口から出血。約30分後、本来のルートに復帰。14:30頃、先行していた3人と合流し、下山開始。このとき、ヤッケの下にフリースを追加で着用した。懸垂下降を繰り返し下山。ロープ一本で5人が下山ということで、待っている時間も長かった。途中日没し気温も下がり、両手の中指・薬指・小指の感覚は無くなっていたが、ザックを降ろすことも面倒に感じ、手袋の交換は行わなかった。20時、横尾避難小屋着。手袋を取ると右手の中指・薬指、左手の中指・小指の先端が白くなっていた。避難小屋内にテントを張り、暖かくなってくると感覚が無かった指先が赤くなり、ジンジン痛くなってきた。急に温めるのは良くないということから、脇に挟んだり口にくわえたり、ストーブの遠火にかざしたりした。22時頃、就寝。痛みは続いていたが、眠れないほどではなかった。この日の天候は、時折雪が舞うこともあったが、風も強くなく一日を通して比較的穏やかだった。気温は不明だが、特に強い冷え込みはなく、この時期の雪山としては通常通りの寒さという印象であった。
1月1日(受傷翌日):
・29日と同じ経路を下山
・ 痛みというほどではないが、ジンジンした感じは続いていた。指先、青紫色。特に右手薬指、左手小指がひどいようである。左手小指は八ヶ岳でしもやけ気味だったこともあり第一関節上から異常あり。新しいインナー手袋とアウター手袋に交換し、上高地から下山。この日になって、昨日の滑落の際に打った顔が晴れ始めた為、救急対応しているという高山市内の日赤病院へ車で向かい、診察を受ける。顔の腫れと口内の怪我、脇腹の打ち身に関しては、CTを受けることも提案されるが、怪我後二日に渡り長時間歩行しており、今後急変するようなことも考えにくいとの話だったので、CTは断る。指の凍傷に関しては判断しかねるので、大阪に戻ってから再度受診することを勧められる。また、新陳代謝を高めるためか、水分を多く取るように言われる。診察料は保険適用で1500円程度だった。
1月2日(受傷後3日目)
・ 右手薬指、左手小指以外は感覚あり。数日も感覚が無いのは初めての経験だったので不安に感じ、近くの救急病院3ヶ所に問い合わせるが、色が変わるほどの凍傷は診れないと断られる。血流改善のため、ヒルドイドクリームを塗るといいというネットの情報から薬局に行くが売っていないため、同じヘパリン製剤のヘパリンZ軟膏(ゼリア新薬)を購入(ヘパリン製剤の使用については下記に注意事項を記載)。打ち身にもいいらしいので、顔にも塗ってみる。左手小指に水泡が出来る。
1月3日(受傷後4日目)
・ 昨日出来た水泡は無くなった。相変わらず右薬指、左手小指の先端は感覚がないが、温かみはあり、むしろ他より熱いくらいなので、血管は死んでいないと思われて少し安心する。先端から白、赤紫、黄色という順序の色。
1月4日(受傷後5日目)
・ 皮が硬くなってきた。このまま硬くなった部分がはがれるのだろうか。
1月5日(受傷後6日目)
・ 皮がどんどん硬くなってきて、突っ張る感じ。右薬指の先端は相変わらず白く、心配。会長が新河端病院の斉藤医師を紹介してくれる。旧アルデの武道さんがお世話になったらしい。
1月6日(受傷後7日目)
・ 皮が突っ張る感じが続く。色は赤黒い。時折ズキズキ痛む。新河端病院に電話。斉藤医師は明日は診察日でないが、京都にいるのでそこで診察してくれるとのこと。17時に祇園四条の鴨川ビルに伺うことに。
1月7日(受傷後8日目)
・ 相変わらず皮が突っ張る感じでズキズキする。早めに退社し、京都へ。飲み屋ビルにあるちゃんとした診療所だった。受傷の程度は2度から3度との診断(程度については「3. 凍傷について」を参照)。一ヶ月ほどで黒い皮が剥がれて治るとのことで安心したが、寒さに敏感になっているので春ぐらいまでは厳しい雪山は控えるようにとのこと。また、無理に皮をはがさないこと、皮が剥がれて新しい皮膚が出てきたら、感染を防ぐために抗生剤入り軟膏(ゲンタシン軟膏など)を塗ることを勧められる。
1月8日(受傷後9日目)
・ ズキズキ感はなくなった。
1月9日(受傷後10日目)
・ 最も悪い右薬指の白い部分もなくなり、全て赤黒くなった。皮膚も硬く、机等を叩くとコツコツと音をたてる。あとは剥がれるのを待つだけか。
1月13日(受傷後2週間)
・ 左手小指、水泡が出来た部分の皮が一皮剥ける。さらに二皮目も剥けて、柔らかいピンクの皮膚が出てくる。同じく、小指の先端の皮も剥けてヒリヒリする。残りの指も爪の先端が浮いてきた。硬い皮がひび割れてきている箇所や表面の薄皮が剥けてきている箇所もある。中の新しい敏感な皮膚が部分的に露出してきたため、これまで以上に洗髪等がやりづらい。相変わらず凍傷箇所は寒いとしびれる。
1月17日(受傷後18日目)
・ 厚い皮も剥けてくるが、剥けた部分は非常に敏感で触れるとしびれる感じ。キーボードも打てないので受傷していない指だけで作業し、さらにはバンドエイドで保護。
1月21日(受傷後3週間)
・ 最も重症である右手薬指以外は全て剥けた。しかしながら、13日目に剥けた部分も含めまだまだ敏感で、日常生活はまだ不便。
1月23日(受傷後23日目)
・ 無事、全ての皮が剥けた。触れると多少ヒリヒリするが大分強くなってきた。しかし、街中でも寒いとしびれる感じがある。キーボードを打つのもまだ痛いので、受傷した指は使わないようにする。
2月5日(受傷後約5週間)
・ 事故後、初めて山(剣尾山)に行ってみた。最近暖かく、低山であった為、何の問題もなかった。寒い朝などは今でもしびれるが、洗髪やキーボードを打つのもほぼ出来るようになった。

3. 凍傷について
寒冷地では中枢の体温を逃がさないため、抹消の血管は収縮する。極度の低温もしくは長時間の寒冷下にさらされるとこの保護作用によって皮下の血行は極端に悪化し、部位によっては血行不全に陥り、やがて凍ってしまう。この様な状態を凍傷といい、血行不全に陥りやすい手足の指や、風雪を受けやすい耳や鼻、頬などに多く発生する。凍傷は程度により、下記の4段階に分類される。
第1度  赤くなって、むくみがある。
第2度  水疱ができる。
第3度  皮膚の組織が壊死し、黒くなる。
第4度  指先などが脱落する。
凍傷治療で有名な金田医師(下記参考文献参照)は、表在性凍傷(上記第1度、2度に相当)と深部性凍傷(第3度、4度に相当)に分類している。
凍傷の第一段階はジンジンした痛みを感じる、次に感覚が無くなり紫色を呈する。その後温めると痛みを感じ、水泡が出来るケースもある。このような状況は表在性凍傷であると考えられるので、むしろ良い兆候である。2から3週間後に表皮が硬化し黒くなり、その部分が自然脱落する。水泡が出来た場合は、決して破いたり取り除いたりしてはならない。水泡を除去すると、真皮と血管が露出し、壊死が起こる可能性が高い。
深部性の場合は、濃い紫、または黒に近い色でしなびたように萎縮しており、加温しても無感覚。白ろう化している場合は表在性と深部性の中間であることが多く、治療を急ぐべきである。3週間ほどで壊死の分界線が著名になり、段端周囲の皮膚組織が強くなってくる8週間後以後に切断手術を行う。
治療は1週間以内に開始しないと、その後の回復が悪くなる。血管を拡張させるため、プロスタグランジンの点滴が有効である。ヘパリン製剤は抗凝固作用により血栓を融解させ、血流を改善させるが、水疱が破けて出血している場合などは出血が止まらなくなるので要注意。(今回、私はヘパリンクリームを塗ったが、出血がなかったため、特に問題なかった。)
一度受傷すると、新しい皮膚が出てきた後も、2~3年間は寒さに敏感であり、特に最初の数ヶ月は激しい雪山は避けたほうがよい。
凍傷の一番の原因は、当然、冷やすことであるが、金田医師によると過度のストレスも大きく影響し、遭難・ビバーク時など身の危険を感じるときに受傷するケースが多いとのこと。ストレスは交換神経を刺激するため、その結果、血管収縮が起こるらしい。
受傷の多い箇所は足・手の指の他に、風をまともに受ける頬も凍傷を受けやすい。しかしながら、そのほとんどは表在性であり、血管が豊富であるので治りやすい。(私も実際に頬と鼻に凍傷を受けたことがあるが、一週間ほどで黒い皮が一皮剥けて治癒した。)

4. 考えうる原因
今回凍傷を受けた原因としては、下記が挙げられる。
l 受傷当日、休憩らしい休憩が無く、水分もほとんど取っていなかった。
l 行動時間が長く、気温の下がる夜も行動していた。
l インナー手袋が濡れたにも関わらず、手袋を交換しなかった。
l ウールの手袋も持っていたが、この日は化繊のインナー手袋をしていた。

5. 今後の対策
l インナー手袋は厚地のウール素材のものを使用する。(ウールは濡れても冷えにくい。化繊は凍る。)
l 替えの手袋はインナー、アウター共に十分に用意する。(最低1組の替え、長い山行ならばさらにもう一組)
l 操作性を重要視しない場合は、ミトン型のアウター手袋を使用する。(ミトン型の方が暖かい。)
l 手を濡らさない為、手袋は絶対に外さない。(手袋をつけたままでもアイゼンの取り付けやロープワークが出来るように十分、練習しておく。)
l 雪がアウター手袋内に入らないよう、手袋の口元を十分に絞っておく。深いラッセル時などは要注意。
l 水分(温かいものだとなお良い)を十分に取る。(冬場は喉の渇きを覚えにくいので、意識して取るように。)
l 手首の動脈をリストバンド等で温める。(指先末梢神経への血流改善のため)
l 体全体も冷やさないようにする。太い動脈がある首を温めるのが効果的。
l 行動時間はなるべく短く。(6時間と10時間の行動時間では大きな差があるらしい。また、ビレイ時は冷えやすいので、なるべくスピーディに登るように。)
l ビタミンEの経口剤や外用剤を服用・塗布。(気休め程度らしいが)
万が一、凍傷してしまった場合(白または紫色になるほどの場合)
l すぐに下山する。
l 急に温めず、40~42℃のお湯で解凍する。お湯が無い場合は人肌に接触させて解凍する。この際、こすったり叩いたり振ったりしない。まだ山中にいるなど、再度凍結する可能性がある場合は凍ったままにし、下山してから解凍する。(→急に温めると腐敗が進む。再度凍結すると、さらに組織が壊れやすい。こすったりすることも組織を傷つける。)
l 病院へかかる。(「8. 病院について」を参照)

6. まとめ
これまでも雪山で指先・足先の感覚が無くなることは頻繁にあったが、今回は「4. 考えうる原因」で記した要因が重なってしまったために、受傷したものと思われる。感覚が無くなったからと言って、毎回下山するわけにもいかず、頻繁に手袋を外して指の色を確認するわけにもいかないので、行動中にどこまで凍傷が進行しているか把握するのは困難だが、感覚が無くなってきた際は、とにかく最新の注意を払うことが重要である。特に行動時間が長く、ビレイで待ち時間が長くなる登攀時は要注意である。凍傷により手足の指を切断した著名な登山家も多いが、やはり指を切断するというのは、一般生活においても、山においても、そして精神的にもダメージが大きい。また、「怪我をしないで帰ってくる」というのも重要な山の技術であることを痛感した。受傷後、特に最初の1年間は寒さに弱いということなので、今回の教訓を無駄にせず、山に登りたいと思う。

7. 参考文献
「感謝されない医師」金田正樹著、山と渓谷社
※ 金田医師について:最も凍傷治療の経験がある医者(本人は望んでないらしいが)。現在、向島リハビリクリニック勤務。これまで、加藤保男、山野井夫妻など著名な登山家の治療を行ってきた。

8. 病院について
凍傷は山ではよく聞くものの、一般社会ではかなり頻度が低いため、診られる医師が少ないのが現状。診療科は外科または皮膚科(切断するなら整形外科)だが、上記のように診られる医者は少ないため、事前に電話で確認する方がよい。関西ならば新河端病院の斉藤医師、関東ならば向島リハビリクリニックセンターの金田医師へ。連絡先は下記参照。受傷直後、特に一週間以内の治療が重要なので、なるべく早急に。組織の壊死を食い止めるため、血流を改善するビタミンEやプロスタグランジンの点滴および経口投与が行われる。
l 新河端病院(長岡京よりバス、電話:075-954-3136) 
※ 斉藤医師は自身も山をやる方。年配の方で新河端病院に毎日勤務されているわけではない。京都にも斉藤診療所(祇園南座の北、鴨川ビル3F、電話:075-531-1481)を開いており、私はこちらで診察を受けた。
l 向島リハビリクリニック(東京都墨田区、電話:03-5630-6555)
※ 参考文献の著者、金田医師が勤める病院。

以上