20230928

2023/9/3-10/4 マナスル③ メンバー/小林

山域
マナスル
日程
2023年9月3日 - 2023年10月4日 <③ 9/28~10/4>
メンバー
小林
コースタイム
 
感想
(27) 9/28(木)
酸素吸ったら、不思議なくらいスーッと寝れて、気付くと6時半だった。例のニンマテンジンが、無愛想ながら朝のティーを持ってきてくれた。「昨晩はありがとう」と伝えると、無愛想ながら「体調は良くなったか?」と聞いてきた。夜中に嫌な顔せず(そもそも無表情)酸素替えてくれたし、Kちゃんは散々文句言ってたけど、私は根はいいやつだと信じている。そういや、Aさんたちの気配がない。「(Aさんのガイドの)ダラクパはどこ?」と聞くと、まだC4に居るらしい。ニンマテンジンに「俺たちと一緒に下るぞ」と言われて準備するが、この日のうちにC3はほぼ撤収するので、片付けに時間が掛かる。こちらの方が早く準備出来たので、Kちゃんと二人でC2まで降りる。C2でチェパやYさん、ソナ達と合流。用意してくれていたカップヌードルを食べ、一緒に下山。もう酸素は要らなかったのだけど(5㎏くらいあるのでそれなりに重い)、吸え吸え言われるので、結局C1まで吸った。C1以降、要らなくなったボンベは何とソナが持ってくれた。このソナ君はチェパの弟でキッチンボーイとしてもお世話になっていたが、今回、初めて、マナスルに登ったとのこと。来年のエベレストもキッチンボーイをしながらクライミングガイドとして登頂をめざすんだって。酸素量の管理とかはまだ慣れが必要みたいだけど、お兄ちゃんのチェパに似て、ホスピタリティに溢れているので、きっといいガイドになると思うよ!


「いつも可愛いソナ君。若く見えるけど30歳(サマ村で撮影)」

何度通ったか分からないBC~C1の道のりも今日が最後。最初は真っ白だったのに、雪が解けて真っ黒。今年のシーズンももう終わり。モンスーンが終われば、すぐに山には冬が来て、どんどん雪が降るんだね。段々畑のBCが見えて来るけど、どんどん撤収が始まっている。9月の1ケ月だけ、人がわんさか押し寄せて街を作って、すぐに居なくなる。なんか変な感じ。そんな感慨に更けていると、いつの間にか我らのBCに着いていた。プジャの祭壇にお礼をする。無事に登らせてくれて、ありがとう。
とは言え、下山が遅れているAさんとダラクパが心配。Aさんは下山時にダウンジャケットを飛ばされたらしいが、ダラクパの無線の電池が切れたようで、連絡が付かない。デンディはヘルプのシェルパを送ることにするが、「Aさん、リンゴ好きだから、リンゴとコーラ持たせた」と、やったった感全開で話してくる。「いやいや、リンゴより代わりのダウンと無線の電池だろ、てかAさん、そんなリンゴ好きだったか??」と皆で突っ込むと、ハッとして送り出したシェルパを慌てて追いかけていった…。だいじょぶかいね、この社長…。結局Aさん達は、C2泊まりということになったので、一足先にBCではサミットパーティー開催!サミットケーキと共に、シャンパンファイト、恒例のダンス大会と流れ込む。私はビールも解禁で飲むぞー!と思ったけど、高所ではそんなに飲めないね…。

「シェルパ軍団。中段右端がKちゃんのガイドのニンマテンジン。」
「サミットケーキ」
「この日はほぼ満月。中秋の名月かな?」

(28) 9/29(金)
一日レスト日。午後、Aさんとダラクパが、BCへ帰還。C4では誰のだか分からないテントに知らん外国人と泊まり、撤収しかかっているC2では乞食のようにジュースや食べ物を漁ったそう。Aさん、社長さんなのにね…。ともあれ、これでようやく心が落ち着いた。AG隊に混ぜてもらった形だったけど、なんと9人全員が登頂!!今年は天候に恵まれた当たり年だったということもあるけど、平均すれば登頂率50%という中、強いメンバーが揃ってこその偉業だと思う。山の素人が集まる公募登山をとやかく言う山屋も多いと思う。という私も最初は「山の技術・経験は私の方が上だし~」なんて上から見てた部分もあった(と言いながら、合わないアイゼン持ってくるという大ミスをしていますが…)。でも、付き合っていくうちにそれぞれ夢や目標を持ってこのマナスルに臨んでいることが分かったし、雪山の経験もないのに、長いテント生活の中、登頂したのはすごいことだと皆を尊敬している。普段、出会うことの無いような個性豊かな面々と、共に登れたことに感謝したい。

「ビールのアテを作ってくれた!豚の分厚い脂身が美味しい!!」
「ビール全部飲んでやるー!と意気込んだけど、そんなに飲めるもんでは無い…。(右頬は凍傷の為、キズパワーパッドを貼ってます)」

(29) 9/30(土)
今日はヘリでサマ村経由、カトマンズに戻る。本来の予定は歩いてサマまで下ることになっていたが、ヘリを希望するメンバーが多かったということで、それならそれで私も異論無し。起きると一面雪景色。8時にヘリが来るとなっていたが、結局来たのは11時。これなら歩いて下った方が時間的には早かったけど、一度ヘリと聞いてしまえば歩く気にはならない。待ってる間、どんどん解体されるダイニングテント。外に追い出されても、余ってるビールを飲み、散々記念撮影をして別れを惜しむ。

「向かいの団地はすっかり空」
「容赦なく解体されるダイニングテント」
「さよならマナスル」
「さよならBC」
「ようやく来たヘリ」

サマに着いて、行きに泊まったロッジで昼食を取る。特にピザが美味でした。カトマンズ行きのヘリはこれまたなかなか来ない。15時過ぎにようやくヘリに乗り込む。約40分のフライト、谷の間を進んでいくが、途中、雨が強まって視界も無くなり、雨漏りするし、ちょっとドキドキした。カトマンズに着くと一気に半袖の陽気。慌ててダウンを脱ぐ。デンディはサマで買った名産のジャガイモと大根を、別のトレッキング会社のセブンサミッツに取られたと騒いでいたが、何とか取り戻したよう。トリブバン空港からバスで移動し、17時頃フジホテルに着く。茶色くて匂いのする水道水だが、たっぷりのお湯で髪や体を洗えてさっぱりした。晩はデンディ行きつけの韓国料理屋で焼き肉パーティー。その後はシーシャ(水タバコ)バーに行ったり、はしご酒して、タメルの夜を楽しんだ。


(30) 10/1(日) 晴時々雨
予定が早まったので、皆で帰りのチケットを変更しにマレーシア航空のカウンターへ行く。私は変更不可の格安チケットであった為、どうせ変えられないだろう、それならいっそビジネスクラスのチケットを買い直してやる、と意気込んでいたが、2万円くらいであっさり変更出来て拍子抜け。8人分変えるのに2時間以上掛ったが、良かった良かった。その後、このままアフリカに行くというKちゃんが要らん道具を日本に送るというので郵便局に行く。他のメンバーは車の中で待つが、これまた1時間近く経っても終わらないので、私たちは先にホテルまで送ってもらう。Yさんと近くのおしゃれカフェで遅れたランチを取る。

「くだんのバー「トム&ジェリー」に飾るTシャツ」

夜ご飯はYさん、Vさんとチベット鍋のギャコクを食べた。その後、ツルさんとこっそり連絡を取って、本日到着する府岳連のトレッキング隊をサプライズで迎えに行く。このトレッキング隊にはアルデの森田会長、空港まで見送ってくれた後輩の鬼ちゃんが含まれていて、私が前回のヒマラヤ登山でお世話になったツルさんがガイドに付く。彼らのホテルまで私も付き添って、ビールを1本飲んで帰る。初のネパールでナイーブになっている鬼ちゃんを励ますつもりで行ったが、皆、私のマナスル登頂をお祝いしてくれて、嬉しかった。彼らのホテルはタメルで無かったので、帰りは小雨の中、ツルさんが二人乗りバイクで私のホテルまで送ってもらった。飛行機が遅れたのもあったけど、着いたのは2時頃だった。遅くまでありがとうございました。(ちなみにネパールではバイク二人乗りは当たり前。後ろの人はヘルメット無でOK。)

「トレッキング隊と」

(31) 10/2(月)  晴時々雨
今日の昼はチェパの奥さんがやっているモモ屋さんへ行く。焼きそばやチキン、豚、野菜のモモをたっぷり頂く。隣町から常連がやってくるのも納得の美味しさだった。奥さんが居ない時は、チェパがモモを作って、接客もするそう。どんなに働き者なの…。そして、チェパは一昨日下山したばかりというのに、昼食後、ロブチェピーク&アマダブラムのガイドの為、お客さんと旅立って行った…。

「モモ屋さんの外観」

「働き者のチェパ。コロナ禍の間、オープン席と屋根を自分で作ったらしい。都会(カトマンズ)生まれの息子はシェルパ業を継ぐ気は全く無く、海外の大学に留学させる為に頑張って働いている(涙)。」

夜はデンディのうちにお呼ばれしていたが、私は昨日到着した府岳連のトレッキング隊とディナーへ。今回はツルさんの弟のラムさんがバイクで迎えに来てくれました。ラムさんは私と同い年。10月は日本山岳会のグレート・ヒマラヤ・トラバース(カンチェンジュンガ~K2までの約5000kmを複数年に分けて踏査するもの)に付くらしいです。知ってるガイドさんの近況や人間関係裏話なんかで盛り上がり、帰りは雨の中、タクシーでホテルに戻った。

(32) 10/3(火)
13時の飛行機でカトマンズを発つ。ホテルのロビーでたまたま2017年にお世話になったガイドのダンクマに会えた。ダンクマは日本人のお客さんとロブチェピークに登るらしい。嫌な予感はしていたが、ロビーに現れたデンディは私のフライトのことなどすっかり忘れていて、他のメンバーとスーパーに行くことしか考えていなかった…。
他のメンバーにも付き合ってもらって、タクシーで空港に向かう。デンディはタクシーの中で、「8000m登ると、頭が悪くなる」(ちなみにデンディはエベレスト、マナスルだけでもそれぞれ10数回登頂している)と、言い訳がましく話していた。その後、何やら運ちゃんに話しかけると、運ちゃんは私の座る助手席の前の収納からクチャクチャのカタを取り出して、デンディに渡した。(注:ネパールでは「カタ」という布を別れや歓迎の気持ちを示す為に送る風習がある。)これまた嫌な予感はしたが、空港で別れる際、そのカタが私に掛けられた…。そりゃ、私のフライトをすっかり忘れていたデンディが、お別れのカタを持ってきている訳がない。そんな心のこもっていないカタなんて要らんのだけど、と思いつつ、デンディらしいなと思って、マナスル挑戦を決めてからのこの半年が懐かしく思い出された。野木さんの紹介で会ったこともないデンディとメッセンジャーのやり取りを始めたのが今年の3月。早々に「Tamaki-chan」と呼んできて、馴れ馴れしいやつだなと思ったけど(大体私の方が年上だし)、レスポンスはいつも早いし、内容も親切だし、何の不安もなく、ネパールに向かうことが出来た。実際会ってみると、思った通り適当な部分が多く、お金の扱いも大雑把で、いつも「いいよいいよ」と言って受け取ってくれないし、そんなどんぶり勘定でいいのかと心配にもなったが、いつも明るく騒がしく、何だかんだ上手く行かせてしまう人間力溢れる人物です。ともかくありがとう、デンディ!!

「ありがとう、デンディ」

(33) 総括
・体調を崩して、万全な状態では登れなかったが、そこの自己管理も含めて登山。そもそも不眠症気味で、高所ではほとんど寝れないし、高所順応も酸素マスクも面倒だし、時間も掛かるし、サラリーマン的にはもう8000m峰はいいかなと思った。ヨーロッパアルプスや6000m程度で、登攀的要素が高い山の方が楽しいと感じた。でも、これも登れたから言えること。体調悪くても登ったというのはひとつの自信にもなったし、非常に貴重な楽しい経験が出来た。送り出してくれた会社の人たち、山の仲間たち、そして今回のメンバーやガイドたちに心から感謝します。
・途中、Vさんが2回目の高度順応を省いて登頂したいというひと悶着あったが、私もそのスケジュールの方が良かったかも。2回目のC2(6300m)泊で体調を崩し、そのまま悪化する一方だった。C3以降は酸素が吸えるので、短期決戦で体力があるうちにアタックする方が、私には向いていた気がする。一方、Bさんのように徐々に順応していくタイプも居た。公募登山は弱い人に合わせるスケジュールになっているとのことだし、今年は早くからサミットチャンスに恵まれたということもあるので結果論ではあるが、一番いいのはプライベートガイドを付けることか…。
・腰回りの装備としては、セルフに使うカラビナは掛け替えが多いので、ヴィアフェラータ用のものが便利。皆はペツルのヴァルティゴを使っていたが、私はデンディが貸してくれたカンプのものが使いやすかった。ハーネスはレッグループが外せるものが便利。ユマールとセルフ用に、他のメンバーはペツルのデュアルアジャストを使っていたが、私はユマールはシュリンゲのタイオフでハーネスと連結し、いつも使っているPASをセルフ用に使った(ここはそれで問題無し)。

【関連製品】
https://www.alteria.co.jp/sport/ヴェルティゴ-ワイヤーロック/
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https://www.alteria.co.jp/sport/dual-connect-adjust/
https://kenkosya.com/products/detail/535

(34) 登場人物紹介
① AG隊
・Kガイド:60代。AGの社長であり、高所登山ガイドのエキスパート。Yさんは「人たらし」と称したが、いい意味ですごく良く分かる…。私は自分の武勇伝を話しまくる山ゴロみたいなのは嫌い。Kガイドも明るくてよく話すので、そんなタイプかなと最初は敬遠してたけど、ちゃんと人の話も聞くし、知らず知らずに好きになってた。日本人ひとりで参加している私にAG隊と一緒に行動して欲しいと言ってくれて、私もデンディも助かった。
・Yさん:40代。AGのガイド。自身はデナリや南米が好きで、8,000mを登るのは初めて。仕事とはいえ、個性的な8人を一人でまとめるのは、大変に決まっているが、いつでも明るく優しくフレンドリー。Yさん指名のお客さんがいるのも納得。
・Aさん: 40代後半。大阪で遺品整理業を営む社長さん。「冒険」が好きで、ヨットなど幅広く嗜む。山は慣れないらしく、いつも最後尾を歩いているけど、明るいムードメーカー。
・Bさん:40代半ば。愛知でアパレル会社を営む。今は会長職らしい。エベレストに登るのが夢とのこと。スロースターターらしく、BCに着いた直後はSPO2が50-60%でYさんを心配させたが、何だかんだ登頂。酒好きで、あわよくば飲もうとするので、Yさんがいつも目を光らせていた。
・Vさん: 40代後半。日本在住のロシア人。既に一儲けして隠居状態。山経験はあまり無く、エルブレスに登った程度だが、スキーもやっていて体力ばっちり。いつも乾かない洗濯をしていて、落ち着かないのかなと心配していたが、強強ガイドのギャルツェンと組んで、アタック時はぶっちぎりトップで登頂。最初はロシアンジョークだか分からない皮肉を良く言うので、扱いづらかったけど、後半はそのシュールさにはまった…。肉を食べないので、食事は皆と別メニュー。
・Iさん:30代。精神科医。家族全員医者という目白に住むお坊ちゃま(だが、医者になるまでは紆余曲折あった模様)。山自体はあまりやっていないが、急に海外高所登山にハマったようで、1年休業して、海外の高所に登りまくる予定。ひとまず春にロブチェピークに登り、これからキリマンジャロ、ビンソン、エベレスト等の登る予定だそう。アタック時は耳を凍傷。それを見て、Vさんは「チェブラーシカ」と言っていた…。VさんとIさんはいつもちょっかい出し合っていて、仲が悪いのかいいのかよく分からんかった。
・Kちゃん:40代前半。既に七大陸に登っている。弁護士として成功を収め、今は執筆活動をしながらバックパッカーとミシュランレストラン巡りを楽しむ日々。最初は大口叩くうるさい奴だと思っていたけど、高所キャンプで皆の様子を気遣うなどYさんをサポート。
・Nさん:50代。山の気象予報士。大学山岳部から山をやっていて、経験豊富。
・Hちゃん:30代。登山系youtuber。AG隊唯一の女子。
② Glacier Himalaya
・デンディ:41歳。Glacier Himalayaの社長。
・チェパ:36歳(だったと思う)。デンディの右腕。心優しい力持ち!私の一押しガイド。もし次エクスペディションやるならチェパを指名したい。アタック時はNさんに付いた。
・ソナ:30歳。チェパの弟。キッチンボーイをしながら、クライミングガイドを目指す笑顔が可愛い青年。アタック時はYさんに付いた。
・ダワサンブー:日本語が話せる貫録抜群のイケメンガイド(でも35歳…)。アタック時はHちゃんに付いた。
・ギャルツェン:日本語勉強中のいつもニコニコ可愛いガイド。小柄なんだけど、いつもすごい荷物担いでいる登攀リーダー。これまた貫録すごいが、ダワと同じ35歳。ちなみにこのギャルツェンとダワは同じ年で仲が良いのか、度々タバ○を吸いに出て行っていた(+デンディも)。アタック時はVさんに付いた。