20241229

2024/12/29-2025/1/2 2024年冬合宿 メンバー/森田 中嶋 深美 星島 薬師寺 松吉

山域
剣岳・早月尾根
日程
2024年12月29日 - 2025年1月1日
メンバー
森田 中嶋 深美 星島 薬師寺 松吉
コースタイム
24年12月29日
8:40 伊折→12:00番場島→15:00松尾平(幕営)

24年12月30日
7:30松尾平出発→11:00早月尾根標高1600m→15:40丸山→16:00早月小屋(幕営)

24年12月31日
9:20 早月小屋→13:00早月尾根標高1600m→15:00松尾平→16:00番場島

25年1月1日
10:00番場島→13:00伊折
詳細
配車:森田号(森田・中嶋・松吉) 深美号(深美・星島・薬師寺)

<12月29日 雪>
1日目
伊折より番場島を経て松尾平にて幕営予定。
除雪車道でワカンなしで番場島まで歩ける。
とはいえ、夏道では不要なアプローチを冬山装備(20キロ)の荷物を背負って3時間歩くというのは、もはや酔狂の世界のように思える。

天気予報では雪が多いが気温は高め。
予報の通り、雪は降っているが少し歩けば暑くなってくる。
体温調節が難しい。手袋や帽子で調節する。

要所要所、リーダーが休憩をとってくれる。
暑くて喉が渇くが、持参のサーモスは500mlなので安心して喉を潤すことができない。

12:00番場島へ到着、富山県警派出所へ入山届を提出する。
森田さんが県警の皆様へ551蓬莱の差入られた。県警の方々も嬉しそうである。
また、番場島荘にて森田さんより皆へコーヒーの振る舞いがあった。
セルフサービスの水分も十分にとることができ、まさに地獄に仏の心持だ。
「番場島荘オアシス説」は、早くも私の頭に刷り込まれてしまった。

番場島から松尾平までは急登。
ワカンを装着するも、歩き方の要領がわからない。ほっしーさんより歩き方のコツを教わり、何とか歩を進めることができた。
初日は松尾平で幕営。
雪を整地し、テントを張る。本日の夕食担当は薬師寺氏。『もつ鍋』を振舞ってくれた。
後述するが、薬師寺氏は非常に素晴らしいキャラクターである。
登山前から濡れてしまったテントをものともせず担ぎ、「1日目の夕食分軽くなったので」と、体調不良者の重い荷物をほぼすべて引き受けラッセル、早月小屋までパーティーを率いてくれた。

<12月30日 晴れのち暴風雪>
2日目 
松尾平から早月小屋
7:30松尾平出発、1035mの松尾平から一気に2200mの早月小屋まで一気に1200m高度を上げる。
昨日とは打って変わって美しい晴れ間。青空が広がる場面もあった。

いくつかのパーティーが先行しており、トレースがあったりなかったり。
主にリーダーと薬師寺さんとでラッセルを担ってくれる。
しかし、二人とも高身長で登りのラッセルは一段一段ステップが高い。
一般人は1段のステップを2段に作り変えて登る必要がある。
また、体力も尋常ではなく、ラッセルをしてくれる二人のスピードに追いつくことができない。
後ろをついていくだけでやっとである。

唯一の美しく晴れた日、しかし20キロの荷物の重みに耐えるため、常に下を向いて歩みを進める。
ほっしーさんの体調が悪く、薬師寺さんが彼女のギアやアイゼンなど、思い荷物を担いでくれる。
「昨日食担で、その分荷物が軽くなったので。」と、笑顔を絶やさない。
なんて奴だ。すごすぎる。
リーダーもゴールデンルーキーの活動を見て嬉しそうだ。なんとなく、二人は子弟のようだ。

正直に言うと、私にとってこの日の登りは地獄だった。
何度も「あの尾根を越えれば早月小屋では」と希望を抱くも、永遠に次の尾根がでてきて絶望する。軽く20回は「あの尾根絶望」を味わった。

早月小屋へ到着したのは16時頃だっただろうか。
小屋はほぼ雪の中に埋没している。どのパーティーも早月手前で引き返しており、深いラッセルが続きなかなか小屋までたどり着かない。


昼間の晴れが嘘のように横殴りの風雪。早く体調不良のほっしーさんのためにテントを設営したいが、ふわふわの新雪が積もりに積もっており、地場固めに時間がかかる。
また、凍りついたテントが全くいうことを聞かず、設営ができない。気持ちばかりが焦る。
やっとの思いで設営、テント内に入れたころには19時を回っていた。
食担は私が担う。ラーメンを作るが、皆疲れてあまり食べることができない。
ここでも薬師寺さんが「僕、おなかすいてるんで食べます。」と残ったラーメンをさらえてくれた。なんて奴だ。

皆、疲労困憊で就寝。風もひどい。明日は劔へアタックせず、下山も致し方なし、との空気が漂う。
しかし隣のテントから「明日は1600mあたりまでトレースつけられるところまでいこうか。」と会長の声。
もはや、この時点で私の心は、いや、皆の心は「下山後番場島でビールを飲むこと」で占領されていた。



<12月31日 暴風雪>
3日目。
朝から強風雪。
状況を鑑み、リーダーが「安全に下山する」と本日の行動を決定する。

この日の下山も過酷だった。
ホワイトアウトで進むべき道筋が不明瞭の上、夜間の積雪が昨日のトレースを消し去っている。
リーダーが一人でずっとルーファイとラッセルを担ってくれる。
途中薬師寺さんが交代するが、初めてながら完璧なルーファイで皆を導く。なんて奴だ。

順調に下山途中、後ろの方で甲高い女性の叫び声が聞こえる。
なんだろう。
この時点ではリーダーが先頭、セカンドが私。
振り向いてみると、20Mほど後方で何かが起こっている。
が、何が起こっているのか理解ができない。
楽しい場面なのか、緊迫した場面なのか。

その瞬間、リーダーが素早くザックをおろし、駆け付ける。
私も登り返す。
ほっしーと薬師寺さん、二人が巨木に積もった雪を踏み抜き、途中木の枝でかろうじて止まっている。

どうなっているのだろう。何をしないといけないんだろう。
「ザックおろして」と中嶋さんより私に指示がある。
そうか。自分はザックをおろして人を助ける、そんなことすら指示されないとできないのだ、という事実に愕然とする。

秒速でザックをおろし、ほっしーさんをひっぱりあげる。
薬師寺さんも無事のようだ。
よかった。
木の根元まで落ちてしまったら何メートルあっただろう。ともすれば骨折していたかもしれない。

この後は森田さんも足を滑らせてしまうという場面もあり、皆、山行の疲れが身体面に出てしまっているようだ。
16時、番場島へ到着。急遽乍番場島荘にて6名宿泊を申し出る。
許諾されたときには地獄に仏の心持だった。

番場島では今までの地獄が一変、あたたかいお風呂とおいしい食事、ビールと日本酒の飲み放題、お布団。
こんな幸せを味わったことがない。
皆、心行くまで食事とお酒を味わい、幸せな思いで冬合宿を終えることができた。
翌日は無事下山、帰宅の途についたのだった。

今回の山行の思い出の大半はこの番場島での幸せだ。
「番場島オアシス説」は正しかったのだ。

冬合宿に参加するにあたって、六甲山の歩荷トレに始まり、宝剣岳の雪山トレ、アイトレ、レスキュー。
独自で歩荷トレ、ランニング。
また、雪山ではいつもハンガーノックに苦しめられるため、体重も増やして臨んだ。
その甲斐があり、無事歩き続けることができた。

しかしそれは、多くの方にご厚意に支えられたからこそであった。
指導者である森田さん、中嶋さんはじめ素晴らしいリーダー深美さん、ゴールデンルーキー薬師寺さん、経験豊富なほっしーというメンバーに支えられたことはもちろん、ワカンを貸してくださった松田さん、ビーコンを貸してくださった鬼川さん。餞別のデーツを送ってくださった小林さん。
本当にありがとうございました。

早月から番場島までの過酷な下山途中、中嶋さんより「どや、楽しかったか。」と聞かれ。
「ちょっと今、わかんないです。」としか答えられなかった。
あの時は本当に判別がつかなかったが、今、思い返すと楽しいことしかなかった。
きっと来年も、冬劔(冬合宿)に挑戦するだろう。
その時には、もっとトレーニングを積んで、リーダーのように「人を助けることができる人間」になっていたいと思う。