20230903

2023/9/3-10/4 マナスル① メンバー/小林

山域
マナスル
日程
2023年9月3日 - 2023年10月4日 <① 9/3~9/12>
メンバー
小林
コースタイム
 
感想
(1) 8000m峰への挑戦
2017年、大阪府岳連で企画されたヒマラヤ登山に参加させて頂き、コンデリという6000m峰に登ることが出来た(山行記録はhttps://old.osaka-ard.com/2017/から、「コンデリ」を探して下さい)。その時、自分の力・状況ではアルパインスタイルでヒマラヤの高峰に登ることは不可能であることを痛感した一方、宇宙に近い空の青さや周りの景色、高所に徐々に馴染んて行く感覚に魅せられ、スタイルには拘らないので8000m峰に登ってみたい気持ちが芽生えた。一方、高所という点では2019年末~2020年にかけて、南米最高峰のアコンカグア(6960m)にガイドレスで一人で登るという経験をした(山行記録はhttps://old.osaka-ard.com/2020/の最初にあるアコンカグアをご覧下さい)。そして今年、会社から2週間のリフレッシュ休暇を貰えるタイミングを利用して、8000m峰の中では最も短期間で登れるというマナスル(8163m)に挑戦することにした。

「マナスル峰(西遊旅行のHPより)。BCから見えていたのは右のピナクルだが、頂上は左のピーク。日本隊が初登頂したことでも有名。」

(2) 準備
2018年にマナスルに登った野木さんから紹介を受け、3月、Glacier Himalaya Treks & Exp.のDa Dendi Sherpaさん(以下、デンディ)に直接連絡。ラサに行ってみたいこともあり、同じく登り易いとされるチョ・オユーと合わせて打診するが、政治情勢的にチョ・オユーは難しく、9/3-10/10でマナスルの催行が決まっているとのことだったので、それに乗ることにする。ちなみにデンディ、日本語ペラペラだけど、メッセンジャーでのやり取りは英語で行った。

(3) 9/3土曜(出発~カトマンズ)
9/3の朝、マレーシア航空で関空からカトマンズに飛ぶ。同じ山岳会の後輩の鬼ちゃんが車で送ってくれた。チェックインカウンターに向かうと、サプライズで蛍雪の愛ちゃんが来てくれていた!!本来なら愛ちゃんも今年一緒に行く予定だったのだか、冬に凍傷を負ってしまい、その指の様子が良くないので、今回は断念することになったのだった。2人に見送られ、関空を出発。アコンカグアの時は、ひとりひっそり旅立ったので緊張しかかったが、なぜか私以上に鬼ちゃんが緊張していたおかげで、私の緊張は和らいだ…。

「見送る側なのに表情が硬い鬼ちゃん(左)」

クアラルンプールでの乗り継ぎを経て、9/3の22時半、カトマンズのトリブバン空港に到着。空港は少し新しくなっていた。エレベーターを降りると、即、お出迎えの人たちが待つ待合所になっていて、デンディとおぼしき人と目が合った!Facebookで顔は分かっていたものの、実際会うのは初めて。立ち上がるとすごく背が高くて、思わず「デカっ」と言ってしまった。あとで色々背比べしてみたところ、デンディは180㎝以上あると思われる。ネパール人男性はあまり背が高くないので、余計デカく感じる。

「迎えに来てくれたデンディとキレイになった空港にて」

デンディは他のお出迎えがあるようで、運転手さん2人で「フジホテル」に移動。同じスケジュールで登る日本人がいるとデンディから聞いており、そのメンバーの紹介を受ける。海外公募登山を多く手掛けるAG社も同スケジュールでマナスルを計画していることはネットで知っていたが、予想通りその方々だった。ホテルの食堂に行くと、ほろ酔いのAGのKガイドが陽気に迎えてくれた。結構年配の女性も居るんだな、と思っていたら、AGでは「応援隊」としてBCまでトレッキングを楽しむツアーも催行しているようで、この時いらした方々はその応援隊の方々だった。Kガイドは今年はこの応援隊のガイドで、山頂までは行かないとのこと。少し遅れて、本隊も合流。本体はガイドのYさん入れて8名。日付変わって1時くらいまで飲んで、床に付いた。(注:人物紹介は最後に載せています。)

(4) 9/4(日)晴/曇り
これからAG隊と共に行動することになる。応援隊の方々は観光へ、本隊は登山許可証を受ける為のブリーフィングに行くというが、私は観光もブリーフィングも経験済みなので、デンディと装備の確認後、ひとりでピーボトル(ヒマラヤ高所登山ではテントの中で用を足せるように、ピーボトルを用意する)と地図を買いに行って、昼までホテルでゴロゴロする。6年ぶりのタメル。相変わらず道路は舗装されておらず、埃だらけ。渡るのに毎回ドキドキする道路(信号が無いので、車とバイクのタイミングを縫って渡る)、作ってるんだが壊してるんだが分からない工事、やる気のない店番。多少、いい車が増えたような印象を受けるが、全体的には変わって無くて、ネパールに来たことを実感する。なお、ピーボトルは偽物ナルゲン1Lを500NPRで購入。
ブリーフィングから帰ってきた本隊メンバーと今回初のダルバートの昼食。その後はプジャ(お参り)に行って、ネパールダンス付の夕食をご馳走になり、最後は8000mサミッターの記念Tシャツを飾ってある「トム&ジェリー」というバーに行く。そこで、マナスルの登頂率は50%だと聞き、この中の半分しか登れないという現実を突きつけられる。皆、強そうだし、私はどっちの50%に入るのか不安になる。併せて、愛ちゃんから(愛ちゃんが本来頼むはずだった)チェパさんというガイドさんを指名するといいよ、と言われていたが、チェパはyoutuberのHちゃんに付くことが決まっていると聞かされる(実際は変更になった)。食事の時も「Hちゃんには絶対登って欲しい」と言い出す応援隊のおじさんも居て、端々に特別扱いを感じてしまう(被害妄想含みだが、他にもそういう意見のメンバーは居たよう)。そもそも私はAGで参加しているわけでは無いので、どうこういう話では無いのだけど、登頂率50%の話も合わせて猛烈に不安になる…。と愛ちゃんや中嶋さんから「玉ちゃんならどんなガイドでも登れる」というような励ましのLINEが届いて、涙がこぼれそうになった(ていうか、少しこぼれた)。自分は自分、周りに流されず自分のやれることをやるだけと言い聞かせながら寝た。

(5) 9/5(月) 曇り/晴
今日はArughat(アルガード)という町まで車で行く。大きなバスで、お菓子を回し合ったり、修学旅行気分だが、ネパールらしいガタガタ道に揺られること約7時間。おおいに疲れた。ネパールはまだモンスーン。アルガードの町は標高500m程度と、カトマンズよりさらに低く、非常に蒸し暑い。これでしばらくシャワーは浴びれないので、トイレ内に併設される水シャワーを早々に浴び、夕食を食べ、床に着くが、ダニが多いということなので、登山用のマットを敷いて、布団は掛けずに寝た。

「バス車内。扇風機はあるけど、埃が凄すぎて窓が開けられない区間もあったので、灼熱地獄だった。」
「SA的なところでトイレ休憩」
「ホテルに到着。すごい荷物。」

(6) 9/6(火) 曇り/晴
アルガードからバスでヘリポートのあるArkhet(アルケット)というところまで行き、そこからヘリでマナスルの麓の村、標高約3500mのサマ村まで飛ぶ。ヘリポートと言っても、店の脇のただの空き地。ヘリ一台で15名ほどをピストン輸送する。1便目は8時にKガイド、Hちゃん、他1名を乗せて、すぐサマ村に飛び立ったが、その後、燃料を補給しにカトマンズに戻るとのこと。待ち時間は現地の子供と遊んだり、ニワトリに餌あげたりして、暇をつぶしたが、なんせ暑くて疲れた。

「ヘリポート(ただの空き地)」
「子供たちにネパール語の本を見せて、一緒にお勉強」

なんだかんだ4時間程待って、2便目到着。私はこの2便目に乗せてもらえた。20分ほどでサマ村に到着。雲でマナスルは拝めなかった。急に3000m程標高を上げて3500mに到着したので、息切れする。水(お茶)を努めて飲む。高所では1日4Lが目安。アルケットまでは半袖でも暑いくらいの陽気だったけど、この標高なので、特に日が暮れると寒くなる。体(特に頭)を冷やさないように心がける。部屋は皆個室だったけど、なぜかAG隊でも無い私がAG応援隊の方と2人部屋…。私は夜眠れなくてゴソゴソしちゃうので、申し訳ないな…と思ったけど、同室の方はとってもいい方で夜もぐっすり寝てらっしゃって、何よりこの部屋には室内にトイレがあったので、結果正解だった。(4Lもの水を飲むので、夜4-5回はトイレに起きる)

「サマ村のロッジにて。デンディとチェパと。」

「居心地のいいロッジの中庭」

(7) 9/7(水) 曇り/晴/時々雨
高度順応で本隊は4000m辺りにあるゴンパ(寺)へ。帰りに野口健さんが建てたという小学校に寄る。AGでは寄付を用意していたようで、それぞれお金や文房具などを渡している。何も用意していない私はただ見守るだけ…。

「ガイドのダワと。渋いけど35歳。私の年齢言ったら、目見開いて驚いてた…」
「美しいサマ村」

(8) 9/8(木) 曇り/晴/時々雨
今日も高度順応で昨日とは違うゴンパへ。夜にまとまった雨が降るというパターンなので、町の道は泥だらけ。あちこちに落ちているロバのウンコをなるべく踏まないように注意しながら歩く(が、一度踏まれれば、同化してしまうので、どうせ踏みまくっていると思われる)。カルカ(放牧地)を経て、4200mくらいまで上がると、チェパがスイカを丸ごと取り出した!実は、スイカが唯一嫌いな食べ物なのだけれど、せっかく担いでくれたのだからと食べてみたら、なんと上手いではないか!生まれて初めてスイカを美味しいと思った。

「スイカ!後ろは艶めかしく座るチェパ。」
「カルカに居た味のあるおっちゃん。マネして3ピース!」

帰りはデンディが「ここに行けば必ず登れる」というゴンパに寄る。下りがなかなかの急斜面で、雨で余計滑ってなかなかに気を使った。調子の悪いKガイドはサマ村に着いてから、部屋に籠って療養していた。今日になって、クマリさながらに部屋から出てきて、2階から皆にご挨拶。午後にはだいぶ調子が良くなったようで、ユマーリングのやり方を教えてくれた。

「本日の最高地点で記念撮影」

(9) 9/9(金) 曇り/雨
今日はいよいよBC(4800m)に上がる。昨日足をくじいたKちゃんと膝が痛いHちゃん、高山病気味の応援隊のエリさんはとりあえずサマで休養。
「出発の朝。ロッジには荷揚げのロバがいっぱい。」

残りのメンバーは8時半にサマを出る。途中から雨。中間地点にある茶屋的なところでジャガイモのモモを出してくれて、とても美味しかった(茶屋と言っても、日本で言えば岩小屋レベルの建物)。ちなみにジャガイモはサマの名産で、ガイドたちは皆お土産に買って帰るらしい。

「ジャガイモのモモ」
「BCまでの道のり」
「女性ポーターが多い。担ぐ量は一人30㎏までと決まっているそう」

もう少し上では、BCからキッチンボーイがマサラティーを持ってきてくれて、雨の中、癒された。後半は荷揚げをしてくれるロバやサマ村の女性ポーターと抜きつ抜かれつで、14時半にBCに到着。(ちなみにロバは人を抜かさないよう、よく教育されているようで、私たちが居るとじっと動かなくなる。その度、ロバ使い達は石投げたり、グーパンチしたりとなかなかの虐待ぶりだった…。)BCは段々に色んな隊がテントを張っていて、まるで団地状態。最後はひとりで歩いていたので、Glacier HimalayaのBCが見つけられないのではと心配になったが、しっかり名前が書いてあったので、そんなにウロウロすることなく見つけられて良かった。そして、BCのダイニングテントに案内されてびっくり!ドーム型のテントに椅子とテーブル、様々なお酒が用意されている!(飲まないけどね)さらにヒーターもある!さらに個人テントに行ってびっくり!登山用ドームテントではなく、ちゃんと立てる三角テントで、ベッドがある!前室もあるので、室内は土禁で使うことにしました♪。届いた荷物をばらまくが、広い分、個人テントは寒いので、基本的にはダイニングテントに居ることに。17時半頃、応援隊の面々も到着。この日のメニューは日本のカレーでした。

「Glacier HimalayaのBC。左に見える白いドームテントがダイニングで黄色いのが個人テント」
「個人テントの中。前室、ベッド完備。点かないことが多いけどライトもある。荷物散らかし放題。」
「お隣のBCは団地状態」

(10) 9/10(日) 雨
ただでさえ不眠症で高所では全く寝れない私。なのに、昨晩は珍しく良く寝れた。(とは言え、トイレに4回は起きましたが。)寝起きのSPO2は81%まで下がったが、体調はいい。この日はクランポンポイントまでお散歩に行く予定だったが、朝からずーっと雨なので、中止にして、酸素マスクのフィッティング。午後は昼寝して、15時半頃、Hちゃんが到着。膝はすっかり良くなったらしい。

「酸素マスクの講習中」
「登頂ポーズの練習!」

(11) 9/11(月) 晴/曇り時々雨
ずっと降っていた雨は夜中のうちに止み、初めてマナスルの象徴的なピナクルが見えた(私はマナスルの写真を事前に見て、これを頂上と思い込んでいたが、実際の頂上はこれではなく、C4以上に上がらないと見えない)。応援隊とKガイドは朝のヘリで帰っていった。代わりに足首捻挫のKちゃんとデンディがヘリで上がってきた。急に標高を上げたデンディ、「頭が痛い」と言っている。「シェルパのくせに」といじめてたら、どこかに行ってしまった。きっと、高山病に効くと言っていたチリのスープでも飲みに行ったのだろう。午前中は天気が良いので、タトパニ(お湯)で髪を拭いたり(シャワー室はまだ出来ていなかった)、濡れ物を色々干したり…。

「ついに見えたマナスル!(頂上ではない)」
「日が出て、一気に生活感溢れるBC」

この日はプジャの予定だが、お坊さんはBCのプジャを色々掛け持ち。15時半にようやくうちのプジャが始まる。登山装備を祭壇に飾って、お布施2000NRPを払う。数時間掛かるイメージだったが、1時間程で終わって一安心。最後はハッタイ粉(大麦の粉)を付け合って、酒飲んで、ダンス大会。久しぶりに赤ワインとククリラムのお湯割りを飲んで、踊って、頭クラクラした。夜はヤクのすき焼きでした。(ちなみにエベレストのあるクーンブ地方にヤクはおらず、こちらが本場。クーンブで出されるヤクは実際は水牛らしいです)

「プジャの様子。これが終わらないと、これ以上先は登れない。」
「大麦の粉を顔に付け合う。写真の上手なゴクルさん(ヨーロッパ隊のガイド)が撮ってくれました」
「プジャ後、皆で記念撮影。」
「ヤクのすき焼き」

(12) 9/12(火) 曇り/晴
8時半にBCを出て、C1手前の5300m付近まで往復。途中、アイゼンを付けようとしてびっくり。ワンタッチアイゼンのベルトが短い。日本で履いている冬用登山靴に合わせて、今年の冬にベルトを切ったのを忘れていた…。何とか付けられなくはないが、ベルトが凍ったら無理だろう…。途方に暮れていると、Yさんが予備の1本締めアイゼンを持っているとのこと…。他のメンバーがアイゼン付けれなくて手伝ってもらっている様子や、ハーネス付けてもらっているのを、心の中で笑っていたが、私の方がよっぽど登る資格無しである…。かなり凹むが、代わりのアイゼンがあってラッキー♪とテンション上げる。
フィックスロープは一見、平らで危なくなさそうな部分にも張ってあるけど、ヒドンクレバスがあるかもしれないので、カラビナスルーで通過する。支点は岩やアイススクリューを使っているところもあるけど、大半は岩の間や雪面にスノーバーを打ち込んでいるだけ。バックアップとかいう考えは無いようで、どこも1本のみで、それでグイグイ、ユマールしたり懸垂したりするので、正直恐いが、郷に入っては郷に従えということであまり見ないようにする…。ちなみに、マナスルでフィックスを張るのは、入札制とのこと。エベレストでは専用の会社が決まっているし、アンナプルナでは登山隊で協力して行うなど、山によって色々らしい。さて、BCに戻ってから少し咳が出るので、早めに葛根湯飲んでカイロ張って寝るが、どちらも残り少ない…。もっと持ってくるべきだった。アイゼン同様、こちらもツメが甘くまたもや凹んだ…。

「今回もチェパがスイカを運んでくれた!」




②へ続く