20230913

2023/9/3-10/4 マナスル② メンバー/小林

山域
マナスル
日程
2023年9月3日 - 2023年10月4日 <② 9/13~9/27>
メンバー
小林
コースタイム
 
感想
(14) 9/14(木) 晴時々曇り
今日は高度順応でC1(5800m)に泊まりに行く。9:30にBCを出発。体調はいいが、飛ばすと良くないので、極力ゆっくり歩く。日本の冬山を想定して、レイヤリングを考えてきたが、天気がいいと想定よりかなり暑い。日本の天気の良いGWの雪山くらいの服をもう少し持って来れば良かったと思う。だが、日が暮れてくると急に冷え込むので、一気に冬山仕様に。寒暖の差が激しいので、レイヤリングが難しい。そんなこんなで16時半、たっぷり7時間掛けて、最後尾パーティーでC1に到着した。





ゆっくり歩いたので、体調は良い。マサラティーを頂いて、テントに行くと、Hちゃんがシュラフに包まって、半泣きだった。先頭集団で到着したHちゃん、急に甘いマサラティーとラーメンを食べて、吐き気と頭痛を催してしまったらしい。湯たんぽ用のお湯や防寒具やら運ばれて、女子テントはてんやわんや。私は温かいラーメンが食べられると楽しみにしてたけど、それどころではなく、皆の分のお湯も滞っている状態。雪から水を作る大変さは重々承知しているので、手伝えるものなら手伝いたいが、灯油?を使って2つの鍋をフル動員して作ってはいるよう。私が使い慣れているガス缶は無いので、ただひたすら待つ。それでも、私はHちゃんが湯たんぽにしていたお湯をひとつ分けてもらえてラッキーだった。
夕飯はシェルパシチュー。Hちゃんがさらに気持ち悪くなると良くないので、Yさんのテントで頂いた。トロトロのお肉とホクホクのジャガイモが美味しかったけど、夕飯前に貰えるはずだったラーメンは結局もらえず腹ペコだったので、だいぶ物足りず、Yさんが上げてくれていた柿の種が有難かった。相変わらずお湯は貰えないし、せっかく高度順応で来ているのに、まだ3Lも飲めて無い。不満を抱えながら、女子テントに戻ると、Hちゃんの顔色はだいぶ良くなっていた。気晴らしにHちゃんがiPhoneで音楽を流すと、聞こえてきたのはキンプリ。ネパールに来る直前、今更ながらキンプリにハマった私。誰が好き?って話になり、やっぱり紫耀くんだよね~なんて盛り上がってたら、すっかりHちゃんは元気になった。高山病も直しちゃうって、平野紫耀ってほんと神…。そんなんで、ようやくお湯も回ってくるが、灯油臭くて飲めたもんじゃない…。お湯作りの遅さと灯油臭さはデンディにクレームだな…。夜は、いつも通り、トイレに4回起きる。手袋しなくても余裕で歩けるので、厳冬期の日本の方が寒いくらい。ピーボトルも持ってきたけど、不安定な前室では使いづらいので、テントシューズに高所靴の外側を履いて、トイレに行った。(結局、C1以上でピーボトルは使わなかった。むしろ雨の日のBCで役に立った。)

(15) 9/15(金)晴
8時半にC1を出発。Hちゃんも普通に戻ったみたいで良かった。C1から100mくらい上がったところで戻る。登りの途中でストックをデポしておいたが、下る時には無くなっていた…。チェパは「中国人が取った」と、自信満々でC1の他の隊のテントまで探しに行ってくれる。戻ってくるチェパ、「たまちゃん、無かったよ~」と笑顔で言ってくる。が、その手にはしっかり私のストックが握られている。「え、その手のは…??」と聞くと、「冗談冗談、見つかったよ~」だって。いや、冗談言うつもりなら、せめて手にしたストック隠しとけよ、と突っ込みたくなったけど、この素直さがチェパの可愛いところ。ちなみにストックくらいなら可愛いもんだが、荷揚げした酸素ボンベとかのデポ品も盗まれるらしい。よって、C1以降にはキッチンボーイを常在させて、管理しているそう。

「朝、荷揚げに上がってきたダワ。私が7時間掛けたところ、荷物担いで2時間半で到着…。」
「チェパの後ろのかっこいい山の名前は不明…。ちなみにチェパはコロナ禍で仕事が無く太ったらしいが、登山中はほとんど食べずにお腹の脂肪で動けるらしい。人間ってそんな生き物ではない気がするが、実際、帰る頃には、かなりお腹が凹んだ。」

C1で休憩して、14時にBC着。この日はHちゃんの誕生日。サマから戻ってきたデンディ。サプライズパーティーのことで、ソワソワウロウロ、テンション高いし、いつも以上に騒がしい。シェルパテントに呼ばれると、ケーキのデコレーション中。日本語でメッセージを書いて欲しかったみたいだけど、結局、チェパが英語でデコレーション。慎重なチェパ、念入りにティッシュの上で練習。屈強なシェルパが寄ってたかって、あーでもないこーでもないとデコレーションをする姿は非常に微笑ましかった。さらに出来上がったケーキがハートマーク付きのかなり可愛らしいデコレーション…。会場の飾りつけもピンクの風船…。ギャップに萌えました…。

「心配そうにチェパのデコレーションを見守る…。」

18時にこっそり他のメンバーも呼んで、サプライズパーティー成功!この場では軽く飲んだくらいだったけど、夕食後の21時くらいから本格的に2次会開始!まずは、チェパが買ったサマ村名物の冬虫夏草を漬け込んだお酒を頂く。お酒はリンゴ酒だったので、甘酸っぱかったけど、冬虫夏草は味のしない太いヒジキみたいな感じでした。ペットボトルの底に溜まっていた冬虫夏草をたんまり入れてくれて、すごい高いと聞いたので頑張って食べたけど、後日改めて見たらかなり気持ち悪い代物…。漢方らしいけど、何に効くのかも謎…。

「部屋の飾りつけも可愛い…」
「冬虫夏草酒をチェパと頂く」
「後日、改めて見た冬虫夏草。だいぶ気持ち悪い…。」

その後はペットボトルに入った謎の酒(ロキシーやBさんが持ってきた梅酒等)やワイン等をチャンポンしまくり、お約束のダンス大会で酸欠状態。0時回った頃、お開きとなった。主役のHちゃんはシェルパに両脇抱えられて戻っていった…。私もデンディに「テントまで送ろうか?」と冗談で言われたけど、丁重にお断りして、自力でベッドにたどり着いた。

(16) 9/16(土) 曇り
いつもは4回はトイレに起きるが、この日は一度も目が覚めず、毎朝恒例のSPO2測定を迎える。ここ最近は80%後半まで戻していたが、今朝は最低値の80%…。昨晩飲み過ぎたせいだ…。今日は水6L飲むぞと心に誓う。飲み過ぎたと話していたら、デンディは自分が飲んでいたレモン湯を私にもくれた。ネパールの二日酔い予防かな?ここから2日はレスト。この日は曇りだったので、シャワーも洗濯もせず、ただひたすら水分取って、ダラダラした。夜は練習でダウンスーツを着て寝てみる。後ろがガバッと開いて、トイレ出来るのだけど、これだとピーボトルは使えないし、ハーネス付けた状態で、後ろ開けて用を足すのはなかなかの困難だな…。(ダウンスーツ着るのはC1以降のテントとC3以降のアタック時のみ。C1以降でピーボトルは使わなかったし、アタック時は飲まず食わずで、尿意は感じなかったので、心配無用だった。)

(17) 9/17(日) 晴/曇り
今日もレスト日。午前中は簡単にシャワー。他のメンバーは野口健さんのテントに遊びに行ったようだが、私は興味無いので、自分のBCでウダウダするのみ。

(18) 9/18(月) 曇り時々雪
今日からC1(5800m)に一泊、C2(6400m)に二泊の高度順応。歩きなれたC1までの道のり。BCを9:50に出て、15時半にC1着。前回はたっぷり7時間掛かったところ、約5時間半で来れた。調子も良い。

(19) 9/19(火) 曇り時々晴
8時にC1を出発。3つのアイスフォールを超えて、13時半にC2着。途中にはヒマラヤ名物「クレバスに掛かる梯子」もあった。
「C1にて出発準備中」
「梯子。これが毎回怖い…」

クレバスも広がって来ていて、思い切り飛ばないといけないところもある。でも、その度、ガイドのチェパやソナが手を貸してくれるので、助けに来てくれた王子様に飛びつくお姫様気分で思い切り飛んだ(笑)。ていうか、山に限らず、バスの中でよろけるだけで、ガイドの皆はサッと支えてくれて、毎回惚れそうになる。ネパール人って、格好いいし、優しいし、力強いし、絶対モテると思うんだよなぁ…。(チェパに言わせれば、「仕事」というだけなのかもしれないけど、私に気があるからだという夢は持ち続けたい。)

「チェパに向かってジャーンプ!!」
「アイスフォール①」

C2直下、3つめのアイスフォールは皆が登るので雪がえぐれて登りにくい。荷物は荷揚げ。ついでに我々も荷揚げされる。一応、自力で登ろうとするが、シェルパ数人で引き上げる方が全然早くて、ほぼ荷物状態。登り上がって見ると、ただユマールで滑り止めしただけの一分の一。シェルパは力持ちなんだなぁ…。またまた惚れそうになる…。

「最後のアイスフォール」
「荷揚げされる人々」
「C2」

そこから少し上がるとC2。C2内にはクレバスが走っているので、要注意。実際、Bさんが落したテルモスはクレバスに飲み込まれ、それを追いかけようとしたBさんを皆で必死に止めたのは、言うまでもない。私は、歩いてるときは調子よかったが、夜になって咳が出始めて、ほとんど寝られなかった。(この日を境に、夜はほとんど寝れなくなる。)

(20) 9/20(水) 曇り時々晴/雨

「朝のC2」

7:50にC2(6400m)を出発。予定ではC3(6800m)まで行って、C2でもう一泊することになっていたが、SPO2が50%台まで下がっているメンバーが居るとかで、C3手前まで行って一気にBCまで帰ることになる。私はここにきて、遅れていた生理が始まって、体調いまいちだったので、助かった。ここまで行動を共にしていた他のヨーロッパメンバーはこのままC3に上がって、アタックする。調子のいいVさんは、自分もこのままアタックしたいとYさんやデンディに訴えていたが、説得され、予定通りということになった。私もこの時点ではこの高度順応の意義を信じていたので、「次来るときの方が順応できてるはずだから、そんなに焦らんでも…」と思っていた。

「C3付近、6800m地点にて」

6800m程度まで標高を上げて、BCに戻る。途中のC1でHちゃんはトイレ(雪掘っただけボットン便所状態)にサングラスを落とし、絵に描いたように凹んでいた。疲れもあってか、BCに帰らず、ビバークするとまで言っている。そんなHちゃんの隣にそっとダラクパが座ったと思ったら、「セーフティ」と言って、落ちないように自分のサングラスに付けているバンドを指さしていた…。史上最高に凹んでいる人に向かって、今、言うセリフじゃないよね、何の励ましにもならんし。絶対、こいつは女性にモテないなと思った(が、実際は可愛いダージリン出身の奥さんが居る)。問題のサングラスは、優しいチェパがビニール袋に入れて持ち帰り、キレイに洗って返して上げていた。下山中、チェパのザックにぶら下げられ、ユラユラ揺れるサングラスがシュールで、見る度、笑いが込み上げたが、ホントにチェパって優しい。
さて、BCに帰ったのが17時。今回もなかなかに疲れた。カトマンズから入手してきたトゥンバ(発酵させたヒエにお湯をつぎ足しながら飲むお酒)をデンディが飲んでいたので、一緒に回し飲みする(トゥンバは専用の容器で回し飲みするのがお約束)。良さそうなワインも開けてきたので、それもついでに飲んでしまう。昨晩から咳が出始めた。トゥンバで体を温めて、良く寝れば治るかと思ったけど、この程度の酒で足りるわけなく、咳は止まらない。

「調子こいている場合ではないのだが、トゥンバと赤ワインを楽しむ(デンディが持っているのがトゥンバ)。左は美味しい日本食を作ってくれるコックのニンマさん。」

(21) 9/21(木)曇り/雨
起床早々、Aさんから衝撃映像を見せられる。昨日、C2からの下りで擦れ違った野口さん、なんと今朝、ヘリで救急搬送されたらしい。荷物が受け取れない間、高度順応は他で済ませたと聞いていたが、両脇を抱えられてヨタヨタ、ヘリに乗り込む姿は痛々しかった。今回が4回目のマナスル挑戦と聞いていたが、ホントにマナスル運の無い人だ…。
一方、同じデンディのお客さんであるヨーロッパ隊3名全員無事登頂したとの吉報が入る。私たちは今日からレストに入り、天候次第で9/24または25から、本番のサミットローテーションを開始する予定。15時半頃、今朝登頂したフランス人のラファエルが帰ってきた。今日は全くの無風で、手袋はダウンミトンのインナー(フリース)だけで大丈夫だったそう。ただイギリス人のティムは頭が少しやられてしまったようで、スペイン人女性のアリータと共にC3に泊まるとのこと。私といえば、咳が止まらず、軽い風邪症状が続く。夜眠れればいいのだけど、ほとんど寝れないので、良くなる気配がない。

(22) 9/22(金)
午前中晴れたので、アタック前の最後のチャンスと思い、シャワー。この日はバケツ2杯のお湯をもらったので、安心して髪が洗えた。体調は相変わらず悪い。喉も痛くなってきた。なけなしの風邪薬(ルル)を飲む。
夕食前、いつサミットプッシュするかで、ひと悶着。気象予報士のNさんは25日BC発の28日サミットがいいと言う。一方、Yさんとデンディは総合的に考えて24日BC発の27日サミットがいいと言う。そもそもリアルピークまでフィックスロープが張られるのは25日以降と聞いていた。その頃、ちょうどジェット気流が強まるので、サミットチャンスはそれ以降という話だったが、実際はジェット気流は強くならず、頂上付近の天候もずっと良いので、フィックス完了を待たずに、ガイドとタイトロープで登る形で、続々と登頂者が出てきている。
こちらに来て聞いた話だが、マナスルはモンスーンが明けると、天気は良くなるが、ジェット気流が強まり、頂上付近は強風になるので登れない、よって、例年、モンスーンの終わりかけの9月にルート工作して、9月末の数日で一気にサミットする。(さらに言うと、春も登山適期らしいが、その期間は皆エベレストに隊を出すので、春登る人はほとんどいない。)今年は、チョ・オユーやシシャパンマに中国が許可証を出さなかったとかで、300名以上の登山者がマナスルに来ている。サミットチャンスの数日に集中することによるリアルピーク付近の渋滞とタイムアウトを心配していたが、今年はモンスーンの割に天候が良く、例年よりサミットチャンス期間が長いので、渋滞の心配はないらしい。続々と登頂者も出てきて、店仕舞いを始めている隊も出てきているので、早くサミットローテーションに入りたいという焦りもあるし、状況によっては途中停滞して28日にアタックすることも出来る27日が良いかなと思うが、デンディが見ているMountain Forecastの予報をNさんが信頼するわけない。とはいえ、既に10回以上マナスルに登っている現地ガイドのデンディの総合的判断をいちばんに考えたくなる。そんな中、口の悪いKちゃんが「天気予報は当たらない」的な発言をしてしまう…。誇り高き気象予報士にいちばん言ってはいけない言葉だ…。案の定、Nさんは機嫌を損ね、自分のテントに帰ってしまう…(夕飯も自分のテントに運んでもらっていた)。
ともあれ、明日まで待って、Yさんとデンディが最終判断を下すことになった。その晩、アタック時のガイドが発表される。私にはデンディが付いてくれることになった。ガイドの中にはこないだヨーロッパ隊と登頂したギャルツェンがまたもや含まれていた。「また登るの?」と驚いていたら、デンディ曰く、「ギャルツェン、3回まで大丈夫」とのこと…。日本語勉強中だがまだよく分からないギャルツェン、デンディの横でいつものニコニコ顔だったけど、だいぶブラック企業でっせ…。ちなみにこのギャルツェン、酒飲むとお金をどんどん使っちゃうらしく、デンディ社長に禁酒を命じられている。よって、皆で酒を飲むときもコーラかスプライトのみで、その度、デンディ社長が目を光らせて、「飲んだらクビ」と言われている…。ギャルツェン、エベレストも何回も登ってて、大荷物でもいつもニコニコ顔、今回のマナスルでも登攀リーダーを務めるめちゃくちゃ強いガイドなんだけどな…。でもそんなギャップも大好きよ。

「いつもニコニコギャルツェン。貫禄凄いけど、なんと35歳(下山時に撮影)」

(23) 9/23(土) 曇り/霧
今日もレスト日。寝れないので、体調は悪化する一方。レストとはいうものの、4800mの標高で体調を戻すのは難しい。大体、風邪に限らず、乾燥で爪と指の間が割けて痛い。さらにそんな傷が1週間経っても治らない。やはり、人間はこんな標高で生活しちゃいけないんだ…。さて、昼食はAさんが作る。メニューはトマトソープとツナパスタ、ベーコンチャンプルー。やっぱり日本人が作る味付けはしっくりくる。私も調理と皿洗いを手伝いました~。夕方、サミットローテーションの予定が発表される。結局、Nさんも納得の上、9/24:BC→C1、9/25:C1→C2、9/26:C2→C3にて仮眠→C4、9/27未明:C4→サミット→C2 or BCという予定となった。体調は最悪だが、こうなったら根性で登り切るしかない!と気合いを入れて寝る(が、またもや明け方まで眠れず朝を迎える)。

(24) 9/24(日) 雪
いよいよ今日からサミットローテーションに入る。10時BC発。いつもプジャの祭壇にお祈りしてから出るけど、この日は特に念入りに。カトマンズでもらったお守りも首に下げた。どうか無事登頂して、元気に戻って来れますように…。通いなれたC1までの道だが、雪がどんどん解けてすっかり真っ黒。道も少し変わっていた。なぜか前回よりもしんどかったが、何とかC1に到着。しんどいのは他のメンバーも同様のようで、レストしすぎで体がなまっているのでは?って話になった(私自身は単に体調崩していることが原因と思う)。夜、トイレに目覚めると、叫びまくっている外国人女性の声が聞こえた。うちのシェルパテントに明かりがついている。翌朝聞いたら、高所で頭がやられたようで、なぜかうちのシェルパテントに飛び込んできたらしい。朝も自分のテントでギャン泣きしていた。その後、ヘリで搬送されたとのこと。高所って怖い…。

(25) 9/25(月) 晴
8時C1発、14時C2着。この日も前回よりしんどい。完全に高度順応に失敗している…。鼻水と咳が止まらない。C2に上がると、SPO2が50%台!情けないが、寝る時、酸素を吸わせてもらう。と、SPO2が一気に80台まで回復。気持ちも楽になる。とはいえ、あんまり眠れず朝を迎える。

「C1からのC2の間で。クレバスを避けながら、氷河帯を縫うように作られています」

「酸素のおかげでSPO2復活!」

(26) 9/26(火)~27(水) 晴
酸素のおかげで、体調は良くなった気がする。酸素なしでC2からC3まで。8時半に出て、13:20、C3に到着する。



「C3に着いて、ラーメンを頂く。ラ王は6800mでも美味しい!」

ラーメン食べて、18時まで寝ろと言われるが、眠れるわけない。酸素吸って体を横たえるだけ。途中、一度トイレに行ったら、ダラクパともう一人のシェルパが外でマットのみ敷いた状態で横たわっていた。テントが足りなかったのかもしれないが、こんなんじゃ、体休まらないでしょう…。丈夫すぎて、もう怖いわ…。
18時にお茶やらα米やらが配られる。ここから飲まず食わずになるので、必死で食べて、必死でダウンスーツに着替えて、必死で高所靴履いて、必死でアイゼン付けて、必死で酸素ボンベ担いで(他のお湯や替えの手袋なんかはガイドに持ってもらって)19時にC3を出発。ここからガイドとずっと一緒かと思ったら、早速デンディは「先行ってて」だって。暗くなって、誰が誰だか分からないけど、フィックスを辿ってとにかく登っていく。鼻水が止まらなくて、調子が上がらないのが分かる。デンディは現れたり、消えたりを繰り返してるが、気にしてる場合じゃない。途中、凍ったちょっとした壁を登らないといけないところが数カ所あった。ピッケル使いたいところだが、ピッケルは要らないと言われ、C3に置いてきてしまった。ピッケル使い慣れてない人はユマール頼みで登るのかもしれないけど、ピッケルに慣れている私にはユマールでは登りづらかった。C3~C4まではピッケルが欲しかった。おそらく0時過ぎにC4に辿り着く。
このC4がカオスだった…。事前の話ではここでお湯をもらえる、数時間仮眠するという話だったので、ここで一息付けると思っていたが、そもそもデンディ居ないし、どうすればいいのか分からない。一緒に到着したAさん、ダラクパ、マヤちゃん(ネパール人女性)に付いて、テントに入るが、テントの中はシュラフやら何やらでグッチャグチャ、これ、誰のテント??風も強いし、なんか食べようにも私の荷物を持ったデンディはどこに行ったか分からない。ダラクパが回してくれるうっすらラーメンの味のする生ぬるいお湯をすすってみるも、全然休まらない。と、デンディが外から、「たまちゃん、早く行くよ。休んでたらダメだよ。」と声を掛けてくる。え、休むんじゃなかったんかい。しばらく無視してみるけど、いよいよ大声で呼んでくるので、意を決して外に出ようとするが、今入ったばっかりで、アイゼン付けるのも億劫。それを見かねたダラクパが手伝ってくれた…。
ここからはダラダラした斜面が続く。「調子悪いならC4で泊まって頂上行ってもいいよ」と今更ながらデンディが言ってくるが、もう数十分は登ってるので、「このゆっくりペースでいいなら、歩けると思う」と答える。夜中になって寒い。右側からの風が冷たい。頬が凍傷するかなと思ったけど、まぁ軽傷で済むだろうとあまり気にしなかった。(案の定、右頬、凍傷した。ちょっと黒くなって皮が剥けるくらいで済むと高を括っていたが、実際は水泡が出来るほどになったので、もう少し気を使えば良かった。)ここまで、日本の冬と同じく、薄手化繊手袋+厚手毛手袋+オーバー手袋をしていたが、感覚が無くなってきたので、ミトングローブ(ブラックダイヤモンドのソロイスト)に替えた。Kガイド方式を採用して、直接グローブをして、冷えてきたらグローブの中でニギニギしたが、この素手ニギニギが効果的だった。ちなみにチェパは軍手で登るらしい…。もう怖すぎる…。
C4からは緩い斜面とちょっと急な斜面の繰り返しで飽きてくる。実際、半分寝ながら歩いてた。普段寝れないのに、こんな時は寝れるなんで皮肉なもんだ…。ふと、目線の高さにヘッドライトらしき明かりが見えたので、誰か居るなぁと思ったら、星でビビった。C2でも星が手に届きそうだなぁと思ってたけど、ますます近い。前方の方が少し明るくなってきた。指が冷たいので早く日が上がって欲しい。散々下から見上げてきた「ピナクル」が下に見えるようになってきた。でも頂上はどれか分からない。道は単調だし、眠いし、正直詰まらない。早く頂上に達して欲しい。明るくなって他のメンバーと擦れ違い始める。どう順番が入れ替わったのか分からないが、皆、続々と登頂している模様。何故だか全くテンションは上がらないが、ここまで来たら、もう2度と登るのは嫌だ、絶対今回登ると誓って、ひたすら足を動かした(というのは気持ちだけで、実際はノロノロ)。
そしてようやく9:40、リアルピークに到達。暫定ピークからもそこそこ距離があって、最後まで疲れた。薄黄土色の変わった岩質なのが、何故だか凄く気になった(こんな時でも岩質が気になるのは、クライマーの端くれか)。酸素マスクを外して記念撮影。せっかくの写真なのに、ナンガパルパットから生還したヘルマンブール同様、私もすっかりおばあちゃん化していた。

「リアルピークへのトラバース」
「疲れ切っておばあちゃん化した無表情の私とデンディ。ちなみに皺に見えるのは酸素マスクの跡です!」

さすが8000m、周りに高いものは何も無い。よく探せばアンナプルナやマチャプチャレが見えたのだろうが、そんな余裕も無いし、デンディは何にも教えてくれないし、周りの山は雲に隠れてしまっているよう。思えば、せっかく私とデンディの二人占めだったのだが、しんどさの方が買ってしまって、記念撮影もそこそこに下山を開始する。下り途中、Aさんやマヤちゃん、Nさんと擦れ違う。いつも早かったNさんがまだこんな所に居るのは謎だが、明るい時に登りたくて調整したのだろうと勝手に納得する(実際は違った。足が凍傷しかかって、C4で長く休憩したらしい)。当然下りもダラダラ長い。天気は良いので、デンディとのんびり下る。


「単調な下り道」

明るくなってみるとルートが良く分かる。C4はルートからは少し外れているので、帰りは寄らなかった。C3に向かって下っていると、Kちゃんが一人で下っているのが見えた。どうやらガイドは一人で先に下ってしまったらしい。Kちゃんの不満炸裂で、このパーティーの様子は後で散々聞かされることになるのが、簡単に言うと意思疎通が全く取れず、夜中に登りながら五体投地は始めるし、道中ずっと苦労したらしい。デンディは笑って聞いてるけど、社長としてはどう思うわけよー??ここでついでに話してしまうと、アタック時のガイドとクライアントの相性の当たり外れが大きかったように思う。大体、日本語話せるガイドはデンディ、チェパ、ダワのみ。高度順応時やキッチンボーイとして顔を知っていたのは、チェパとダラクパ、ソナ、ダワ、デンディ、ギャルツェンくらいで、他は、クライアントとは別に荷揚げとキャンプ設営に励んでたから、アタック直前に初めまして状態。一応、相性を見て組んでるようで、Kちゃんはエベレスト経験者で日頃から大口叩いていたので、誰でもいいと思われた模様。ある程度、そのマッチングが上手く行っていたようで、Vさんとギャルツェンのように友情を深めているところもあったけど、もう少し事前にコミュニケーションを取る場があった方が良いように感じた。
さて、話を元に戻して、いよいよC3が見えてきた頃、デンディはこの日のうちにBCに帰りたい気がありあり伝わってきたので、もう大丈夫だから先に下ってて良いよ、と声掛ける。が、これが地獄を生む…。デンディを送り出して、ほっと一息、チョコバーを半分食べる。いざ、下山とシェルパラッペリング(懸垂するほどでもないところをフィックスロープを持ちながら降りる方法)を1ピッチ行うと、あれあれ急に目まいが。思わずうずくまって休むが、頭も痛くなってきた。しばらく休むが酷くなる一方。ボンベを見ると酸素が切れてる。あちゃー、やってもうた。C3は見えてるのに全く体が動かない。といっても誰も来てくれない。他の隊のガイドは道の真ん中で横たわる私を邪魔そうに追い越していくだけ…(その様子を見て、Kちゃんは私のことをふてぶてしい「どら猫」と呼んだ…)。普通に歩けば10分ほどの距離なのに、1時間近くかけてようやく戻った。が、着いた先にはデンディはおろか知っているガイドは居ない。テントに上半身突っ込んで打っ伏していると、Yさんが戻って来たよう。そのYさんも具合悪いようで、オエオエとえづいている…。ようやくうちの隊のガイドが気付いてくれて、酸素を交換してくれた。
この日はC2までかと荷物をまとめていたら、どうやら私より前の人はBCまで下るようで、後から到着したNさんだけがC2に下りたいと言っているよう。Yさんはそれに付き添うとのこと。C2に荷物を下げてくれるシェルパは居ないし、まだアタック中のAさんとダラクパがC3まで下って来るはずなので、私とKちゃんはC3に泊まって、明日一緒に下山することにする(Kちゃんは相性の悪いガイドもC3泊りなので、最初は嫌がっていたが…)。そんなことを考えている側で別の隊のテントから大騒ぎしている女性の声が聞こえる。この人も頭がやられてしまったのだろう(翌朝、ヘリが飛んできたのはこの人の為と推察する)。
私は、今日も眠れそうにないので、高所では禁断の睡眠導入剤を飲むことにする。睡眠導入剤を飲むと、眠りが深くなって酸素が足りなくなって高山病になりやすいのでご法度とされているが、今日も寝れないと明日の下りが辛い。酸素を吸っているので大丈夫だろうと判断した。薬のおかげで、いつのまにか寝ていたが、1時頃、ふいに目が覚める。頭も痛いし、寒気もする。見ると酸素が空だ…。呼吸が深い分、酸素を吸い過ぎて早く減ってしまったのかもしれない。周りはシーンと寝静まっている。とりあえず痛み止めの「イブ」を飲んで、着るものすべて着てシュラフに包まり、「良くなれ~」と念じて呼吸を続けるが、1時間経っても良くならない。意を決して、ガイドを探しに行く。幸い、隣の隣のテントの入り口が開いていて、覗くとダウンスーツを着た2人がシュラフにも入らず寝ていた。なんでこの寒さの中、入り口全開なんだよ…。ガイドさんが見つかって喜ぶべきところだが、シュラフにも入らず、平気で寝られるって怖過ぎる…と軽く引く…。「エクスキューズミー…」と控えめに声を掛けるが、起きる気配なし。勇気を出して、ゆすってみると、ニンマテンジン(Kちゃんと上手く行かなかったシェルパ)が起きてくれた。「具合悪い。酸素切れた。」というようなことを英語で伝えると、無愛想ながら、ちゃっちゃと新しいボンベに変えてくれた。

③へ続く